死者の人権(その2) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、昨夜は(も)酔っ払って最後まで書けなかった文のつづき。


エット、なんだっけ?


そうそう、死者の人権ね。


なんでこんな難しいテーマを、よりによって酒を飲んでいるときに思いつくんだろう?


殺人を犯した犯人でさえ、人権が認められる。


極刑はそういう意味で、人権侵害に当たるので、これはイカンという世の中の流れになっている。


だが、殺されて死んでしまった側の人権はどうなるんだろう?


死んでしまったら人権を主張できなくなるので、死者に人権はないと考えられているのだろうか?


先の検死官は、そうじゃないだろうってことを訴えてるのです。


もう自ら語ることが出来なくなった死者に代わって、検死官という立場から真実を明らかにしようとしているのです。


その理由は、死者にもれっきとした人権があるとの前提に立たなければ、検死という作業に意味がなくなるからなのです。


そうなんです、死者の人権は認められなければならない。


そうしなければ成仏できないなんてことは、あえて言いません。


そうでなければ、殺されてしまった人が、それまで辿った人生の意味がなくなるじゃないですかと言いたいんです。


何のために、生きてきたのか。


祝福されながら生まれ、楽しいことや苦しいこと、幸福なときや悩んだ日々、努力した汗や悲しみのときに流した涙、それらが全て意味のないものになってしまうじゃないですか。


何のために生まれてきたのか。


ただ単に殺されるために生きてきたのか。


そういった、その人が歩んできた、生きた証が全て殺人者によって断たれてしまったことになるじゃないですか。


死んでしまったら、人権がなくなるなんていう考えは悲しすぎませんか?


犯人が、この期に及んで、途方もない人権を主張する。


まるで、殺された側に非があるような言い方をする。


そんな風景を見て、「いったい死者の人権はどうなっているんだっ!」と言いたくなるんです。