・・・・・・・っということで、「自分探しの旅」って言葉、
ようやく馬鹿げたことだと一般でも思われてきましたが、
気持ちは分からないではないですよね?
自分が作り上げてきた自分像を演技しなくても済むような、
誰も知らない場所に旅行するってことでしょ?
(まあ、そこでは旅人という役を演じなきゃならんのですが・・・。)
そこで自分というものを見つめなおして、
あわよくばリセットできればと願う気持ちが根底にあるのですよね。
そういう気分になるのは、日常の演技する自分に疲れて、
いったいホントーの自分はどこにあるんだろうと、
一瞬見失ってしまう状態になってしまうから、
自分探しなんていう言葉が出てきたのでしょう。
だけれども、そんなものは見つけられないのは最初から分かっていることなのです。
「自分探しだってぇ?チャンチャラおかしいや。自分は自分じゃねーか。」
・・・っという答えで終わりなのです。
・・・・・・
でも、終わらせたくない。
もう一度自分の心の中にダイブしてみましょう。
そこには自分というものが実際に存在していて、その自分が自分の行動パターンをつかさどっている。
この実在する自分を、仮に「ホントーの自分」だとします。
だが、その自分を見つめるもう一人の自分がいる。
この自分を仮に「見つめる自分」だとします。
見つめる自分が、ホントーの自分を理解しようとしている。
もしそうじゃなかったら、自分探しなんていう言葉が出てくるはずがないでしょう?
では、どうしたら自分を見つめる自分は、これがホントーの自分だと納得してくれるのでしょうか?
・・・・・・
そのまえに、どうしてホントーの自分を理解しようとするのでしょうか?
それは、ホントーの自分が、見つめる自分の理屈に合わない行動をとるからなのです。
あまりに多くの仮面をかぶっているものだから、
どれがホントーの自分か分からなくなっているのじゃないでしょうか。
いや、そうじゃなくて、その仮面の下にホントーの自分が隠れているはずだと考える方が正しいでしょう。
そうすれば、これがホントーの自分だと納得できるはずです。
言い換えれば、ホントーの自分とは、「演技を一切しない自分」なのです。
・・・・・・
(つづく)