・・・・・・・っということで、アルコールの力を借りて言っちゃいます。
今回の「耳かき事件」。
ぼくの結論は簡単。
【死刑】だ。
その根拠も簡単。
殺される側に、如何に感情移入できるかに尽きる・・・だ。
あなたが犯人によって殺される場面を、被害者として如何にリアルに想像できるか、それに尽きるのです。
・・・・・・
人を殺すって、すっごく心に負荷がかかるものなんですよ。
犯人に死刑を言い渡すことが、どんなに負担なことか!
いま注目されている裁判員をはじめ、検事、裁判官、
そして弁護士でさえ、
罪深いとはいえ、一人の人間に死を与える行為が、いかに心に大変な負担を強いることか!!
・・・・・・
でも、犯人はアッサリやってしまった。
それも、一人に留まらず、二人も。(今回は母娘ね。)
その罪の重さを自覚して欲しい。
最低限、自覚して欲しい。
人の命を奪うという行為の厄介さ加減を。
・・・・・・
自覚したとしても、ぼくは許さない。
なぜなら、ぼくは殺される側の被害者からの視線をリアルに想像できるからなのです。
圧倒的な殺人者の前で、彼女たちは無力だった。
いかにも無力だった。
もし、自分の身を守る手段を、彼女たちが持っていたら、躊躇なくそれを行使しただろう。
だが、そんな手段を持っていなかった。
犯人の圧倒的なパワーによって、殴られ、刺されたのだ。
・・・・・・
「正当防衛」という言葉がある。
邪悪な攻撃に対して、正当防衛を行使し、もし、その反撃が攻撃側の命を奪ったとしても、
それは罪には問われない。
・・・・・・ぼくの解釈は間違っているだろうか?
その上で、もし、殺されてしまった人々が、正当防衛を行使するチャンスがあったとすれば、
絶対にその正当な防衛行為を行使していただろうと、ぼくは確信するのである。
だったら、被害者になり代わって、
彼らの命の尊厳を守るために、
死刑の判決を下すのは、
ぼくは抵抗をあまり感じる必要は無いのではないか?と考える。
もし、これが認められないなら、正当防衛という概念は成り立たないではないか。
・・・・・・
それでも、負担を感じる。
この不条理な心の負担を、何で感じなければならないのか。
そこんところを、犯人は理解すべきである。
潔く(いさぎよく)、被害者および、その親族の正当防衛としての反撃に身をゆだねるべきだ。
潔く・・・・・・