・・・・・・・っということで、ぼくは怒りっぽい。
ちょっとしたことでも、すぐ怒る。
怒るたびに思う。
「イカンイカン」・・・って。
でも、怒ってしまう。
・・・・・・
これは、歳を取ったせいだろうか?
いま、仏教関係の本を読んでいる。
曰く、怒りは自分を破壊すると・・・。
怒りは「炎」だと、
怒りは、相手を燃やそうとする行為だ。
しかし、その前に自分自身がまず燃えなければならない。
即ち、怒ることは自分自身にとって一番の悪なのだと。
・・・・・・
いまの時代は、怒りが何か格好のいいものと錯覚されている。
・・・・・・
なんとなく分かる。
いや、よく分かる。
だから、怒りを封印しろと。
怒りは弱さの証だと。
・・・・・・
それは、いわれなくても分かる。
怒るという行為は、自分の感情に任せることだ。
自分の感情に任せるということは、
自分の感情をコントロールできていないという、、
まさしく、その証明だ。
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そのとおりだ。
そのとおりだ。
孫子の五危の中にも書いてある。
【忿速(ふんそく)なるは侮る可し】
(気短くして激昂するの将は侮り受けて無理を致し)・・・っとある。
だが、つい怒ってしまう。
怒ったことで、何も変わらないと分かっていながら。
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だが、そういう宗教的な悟りとは別の、
そういう理屈では説明できない何か、
「じゃあ、人は怒っちゃいけないのか?」という疑問。
・・・・・・
たとえば、仏教で言う怒りのない世界は理想的な世界なのだろうか?
どんなに悪を為しても、その悪に対して怒りをもって対処してはならないという。
だが、
だが、「正義というものの本質は怒り」ではないのか?
不正義に対する怒りじゃないのか?
・・・・・・
ぼくには、分からない。
安っぽい怒り、ぼくが日常頻繁に繰り返している怒り。
そうじゃなくって、本当の怒り。
そういう本当の怒りを無理やり押さえつけるのは良くないんじゃないだろうか?
仏教からいえば、それもダメだという回答は分かっているのだが・・・・