・・・・・・・っということで、「報われる」ということについてのつづき。
そうです、そう考えると報われない方が圧倒的に多いのです。
でも、そう考えるってどういうことでしょうか?
野球で言えば優勝しないと報われないのでしょうか。
そうじゃないのは、もう皆知っていることです。
準優勝でも、ベストフォーでも、ベストエイトでもよくここまでやったと褒めてくれれば、報われるでしょう。
でも、誰に?
勝利の女神に祝福される以外、だれに褒めてもらえれば、報われたことになるんでしょう。
まず、自分のやってきたことを正当に評価できる人に褒められることでしょう。
ろくに知らない人に褒められても、嬉しくはないでしょう。
レギュラーになれなかった選手でも、監督から褒められれば、彼の努力は報われるでしょう。
野球に話が偏ってしまいましたが、一般社会でも同じです。
コツコツと積み上げてきた努力は報われるべきなのです。
それを知っている人が褒めるべきなのです。
褒めてあげなければならないのです。
だが世の中、その人の努力を正当に評価できる人ばかりじゃない。
それどころか、評価できる人はごく僅かしか居ないと思ってイイでしょう。
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そもそも結果が出ないことに対して努力をしている人だって居るのです。
そういう人の努力は、なかなか目立たない。
だが、努力していることそれ自体、褒められて然るべきなのです。
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他人に評価されるのが一番ですが、評価できる人に恵まれない場合、自分で評価するしかないのです。
じつは、これが一番難しい。
自分がやってきた事は一番自分が知っているはずです。
一番知っているからこそ難しいのです。
自分が自分を評価するのはとても難しいのです。
人にもよりますが、案外自分には厳しいものなんです。
努力してきたとはいっても、サボったこと、手を抜いたことを知っているからです。
それと、結果には常に満足することが少ないからです。
ですから、報われないのです。
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報われたいがために、他人が喜ぶことばかりしようとする人が居る。
本当は、自分がやりたくないことでも、評判がよければそちらに方向転換してしまうのです。
それはそれと割り切って、そちらに自分の生き甲斐を見つける人もいるでしょう。
でも何か違うと心にしこりは残るはずなんです。
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自分が好きなこと、あるいは自分が正しいと信ずることを続ける。
たとえ、人が評価してくれなくても。
そういう生き方は清々しい。
そういう生き方をしてきた人は、最後には自分で自分を褒めてあげてほしいのです。
甘やかし過ぎと感じたとしても、やはり褒めてあげるべきなのです。
報われない人生を送ったなんて、
そんな人生の終わり方は、寂しいでしょ?