・・・・・・・っということで、意思の疎通は難しい。
同性間でも、同世代間でも・・・
分かりきっていると思って、
でも、分からないかもしれないと思って、
必要以上に、説明的に書いても、
結局、理解されない。
特に、男女の間は分からない。
そうは言っても、30年近く暮らしてきた夫婦だから、
男女間の意思疎通は、言わなくても分かる部分が大半だろう・・・っと考えるのが曲者だ。
ぼくら夫婦でも、分からない。
まったく分からない。
絶望的なほど分からない。
お互い何を考え、何を欲しているか。
一番の問題は、夫婦だから分かっているだろうという錯覚があるため、
余計に悲惨な結果を招く。
・・・・・・
そこで、ぼくは提案する。
お互い分からないものだという前提を崩さないことだ。
中途半端に、分かってくれているなんて思うから、間違ってしまうのだ。
夫婦間はもちろんのこと、
男女間でも、
肉親同士でも、
友人同士でも、
ましてや、他人同士なんて、絶対分かり合えるはずがないのである。
そういう前提を基本にして、他人と付き合うべきである。
そうすれば、裏切られたとか、相手に失望したということはなくなる。
分かり合えたと思っても、それは一瞬の誤解なのである。
・・・・・・
養老孟司が面白いことを書いていた。
夫婦で正面から向き合うと駄目だと。
お互いに、相手の顔しか見えないからだ。
もちろん、お互い別人である。
別のもの同士が向き合ったって、共通点は見出せない。
ヨーロッパのカフェなんかは、お互い席を並べて同じ方向を見ている。
そうすれば、お互いの共通する風景が見える。
そうすれば、少なくとも同じ風景という共通点を見出すことが出来る・・・っというものだ。
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このブログだってそうだ。
お互いに真剣に向き合うと、誤解が生じる。
オチャラケで当たり障りのないことを書いているのが、いちばんだ。
そうすれば、たまに波長が合った一瞬、お互い理解できた気分になることだってあるもんだ。
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分かっていながら、ストレートを投げてしまう。
クセ球のように見えて、ホントーは何の変化もないボー球を。