ぼくのオヤジ(その2) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくのオヤジは男3人女1人の4人兄弟の長男として松山に生まれた。


オヤジのオヤジ(ぼくの祖父)は警察官であった。


明治の警察官。


腰にサーベルを吊るして、威張っていたそうだ。


ものすごい大酒飲み。


ぼくは彼のDNAをしっかり受け継いでいる。


ぼくは優しいジイチャンしか知らないが、若いときは暴力を振るう怖い人だったようだ。


オバアチャンがスゴイ人で、専業主婦にしておくのは勿体無いくらいのしっかり者だった。


ぼくには読めなかったが、彼女が筆で書く草書体は芸術の域だったそうだ。


90過ぎまで生きたが、最後まで誰の助けも借りず一人で生活していた。


オヤジはこのオバアチャンからスパルタ教育を受けた。


オバアチャンは他の兄弟には目もくれず、長男だけを鍛えた。徹底的に。


何にでも一番にならないと気が済まない。勉強でも運動でも。


オヤジにも素質があったのだろうが、オバアチャンの期待に応え、常に学年で一番の成績を取った。


小学校何年のときか知らないが、オヤジが病気になり、1学期休んだことがあるらしい。


オバアチャンは、その学年をまるまる留年させた。


休んだため、一番の成績が取れないと思ったからだ。


中学のとき、飛び級で2年上がったので、その遅れは十分取り戻したのだが。


そして、オヤジは当時の秀才なら当然のように陸軍士官学校に入った。


彼の同期の中には出征して戦死したものも居たらしいが、ギリギリ卒業間際で終戦を迎えた。


終戦の時には軽井沢近くの鹿沢に居たらしいが、ニュースが入って来ず、


中には東京に出て占領軍のアメリカと刺し違えようなんていう連中も居たらしい。


ぼくが中学生のときに、鹿沢に旅行したとき、山の上から当時演習した地形を懐かしそうに話してくれた。


あの時オヤジと二人で登りながら話したときが、一番心が通じた気がする。


敗戦だったから、もちろん陸軍士官学校は解散になって、親父は背嚢に米を詰めたソックスを一杯入れて、


両親の元に帰ることにした。


当時は、陸軍士官学校の生徒を、アメリカ軍が逮捕するというウワサがあって、


まるで逃亡犯のような逃避行(?)だったそうだ。


そのとき、両親は朝鮮に移住していたのだ。


当時は食料が極端に不足しており、ソックスに詰めた白米を出すと、誰でも喜んで泊めてくれたそうだ。


オヤジは福岡にたどり着き、朝鮮行きの船にもぐりこんだ(密航)そうだ。


・・・・・・