・・・・・・っということで、800年前のガンダム。
そのまま徒歩で由比ガ浜へ。
実は今日のルート、中学生時代に歩いた社会科のコースと殆ど同じだったのです。
あの時は、鎌倉駅で自由行動となって、各グループ勝手に行動となったわけ。
ほとんど記憶にないが、やはり大仏のインパクトは強かった。
それと、なぜか由比ガ浜が記憶に残っている。
・・・・・・
なんでこんなに鎌倉が人気なのだろう?
・・・っと考えた。
こんな人ごみの中を、次から次へお寺を巡って、何が面白いのだろう?
紅葉もまだだし。
写真も、こんなに人が多ければ、いいものは撮れないはずだが?
だれも寺の境内に腰をかけ、寺とそれを取り囲む自然を楽しもうとはしない。
しようとしても、無理なのだ。
みな追われるように、ガイドブック片手に、寺を巡る。
まるで、ポケモンのスタンプラリーのように。
聞きかじった情報で、どの店の食べ物が旨いとか、 どんなみやげ物が人気があるとか、 帰る頃には、誰もがディズニーランドのみやげ物みたいに両手に抱えている。
これって、楽しいのだろうか?
そんな楽しみ方は鎌倉に相応しいのだろうか?
・・・・・・
正しい楽しみ方なんかないのは分かっている。
これって変じゃないかなと思うぼくが変なのか?
・・・・・・
じゃあ、オマエの(正しい)楽しみかたってナンなのサ?
・・・っという声が聞こえる。
正しいか正しくないかは言えないが、本当は皆が思っていることって、こういうことじゃないかな?
即ち:
静かな古寺をゆったりした足取りで巡っていく。
紅葉にはまだ早いけど、落葉した木々の間に、ときにはっとする様な紅葉にめぐり合う。
耳を澄ますと、ヒヨドリの声が聞こえる。
上空には、ひばりが舞っている。
寺の境内に腰を下ろして、鎌倉時代に思いをはせる。
じっと目を瞑ると、鎌倉武士や、公家たちの足音が聞こえる。
喧騒の中での毎日の暮らしから遠くはなれて、鎌倉の歴史と静かな自然に包まれる。
・・・・・・っでしょ?
ネー、っでしょ?
だいたいの人が鎌倉を訪れる理由って、そうじゃないの?
でも、どーして出来ないんでしょう?
全くの正反対のことしかやっていない。
・・・・・・・
そりゃ、はるばる海外からやって来た外人なら、観光コースとしての鎌倉を駆け足で回るってアリですよ。
でも、関東に住んでいる人なら、鎌倉なんかいつでも行ける。
その証拠に、ぼくの家から鎌倉まで1時間弱だ。
晴れた、紅葉のシーズンだからというかもしれないが、紅葉じゃなくたっていいじゃないか。
晴れていても、曇りでも、雨さえ降っていなければ、鎌倉なんていつでも魅力的だ。
そう考えると、この人たちは、混んでいること自体が好きなのではないかと疑ってしまう。
わざわざ、人ごみに埋もれた観光地に好んで行くのじゃないかと。
・・・・・・ イヤ、違うな。 確かに、そういう面もないではない。
だが、ホントーはぼくが上に書いたような思いのはずだ。
もう、日本ではそういう贅沢が出来ないのだろうか?
・・・・・・
そこで、ぼくが鎌倉でしたようなことを皆さんも行うことを推奨します。
それは、見えるものを見ないことにし、見えないものを見ることにするのです。
どういうことかというと、
まず、人間を見ないことにする。
見えても、見ない。
次に、電信柱も、車も、安普請の家も見ないことにするんです。
そうすると、自然の中に古寺が見えてくるのです。
人の代わりに、自然の中に続く小道が見えてくるのです。
そして、耳を澄ませるのです。
そうすると、木々を渡る風の音や、小鳥の声が聞こえてくるんです。
そういうことを、頭の中で行うんです。
・・・・・・・
由比ガ浜は鎌倉の都にとって、物凄く大事な存在じゃなかったかと思う。
鎌倉の都を南に下りさえすれば、小振りな砂浜がそこにある。
昔の鎌倉の住民たちは、この浜辺を憩いの場所にしていたことが分かる。
ぼくは、砂浜を歩きながら、むかしの鎌倉にタイムスリップする。
もちろん、頭の中では、全ての人間と、現代の建築物の全てを消し去っているんです。
そうすると、弓なりになった砂浜と、遠くの岬だけが目に入ってくる。
夕暮れになると、鎌倉の家々に明かりが灯りだす。
子供たちが砂浜で遊んでいる。
(もちろん、鎌倉時代の子供たちですよ。)
夕餉の支度が終わり、子供たちを呼ぶ母親の声が遠くに聞こえる。
一日の終わりに、公家も、武士も、そして庶民も、海岸を散歩しながら、くつろいでいる。
今よりずっと少ない数の足跡が、砂浜に残されている。
そして、800年前と同じように、波がその足跡を消し去っていく。
・・・・・・
どうです?
ぼくが、鎌倉で描いた白昼夢。

