運命について | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、老人の特権として、自分の人生を振り返ってみる。


いま現在、ここにある自分は、全て自分が選んだ結果だと思う。


いやそうじゃない、それは「運命」だったんだという人も居る。


ぼくも人生において、これは「運命」だったとおもわれるような局面をいくつも経験してきた。


だけれども、その事象を良く考えてみると、自分が選んだ結果生じたと思わざるを得ないのです。


その選択を、自分が意識していたか、無意識だったかに関わらず。


ぼくの送ってきた人生は、自分が選択した人生だったのです。


それでも運命論者は言うだろう。


例えば癌にかかった人は、自分が癌を選択したのではないと。


確かにそれは運命だったのかなとも思う。


でも、肺癌にかかった人が、タバコ愛好家だったとすれば、それはある意味自分が選択したんじゃないかな。


ぼくは、いま高血圧症と肝臓機能障害だけれど、酒を飲むのを控えれば、あっという間にノーマル値になることを知っている。


さらに、運命論者は言うだろう。


交通事故はどうなのだと。


その道を行くことを選んだのは自分だとか、その飛行機を予約したのは自分だとか言うんじゃないだろうねと。


ぼくは、そんなことまで自分が選択した結果だとは言わない。


それは、【事故】だったと言いたい。


空から、隕石が落ちてきて、運悪く頭に当たって死んでしまったのは、運命と言うより事故だったのだと。


何でそう考えるかというと、癌にかかったのは例え運命だったとしても、そこから先の生き方は自分の選択によって大きく変わるからだ。


癌と闘う人も居るだろう。


それより、余命を安楽に過ごしたいと思う人も居るだろう。


・・・・・・


じゃあ、自分が選択した結果としての現在を、ぼくは満足しているのかと問われるだろう。


権力欲(出世欲)としては不満足だろう。


だが、権力は更なる権力を求め、権力は必ず不正に繋がるということをぼくは「知っている」。


物欲(金銭欲)についても、不十分だろう。


だが、金を持てば更なる金を求め、そのことが知性を曇らせることもぼくは「知っている」。


負け惜しみを言っているかもしれないが、無意識にそう思うのがぼくの個性なのである。


・・・・・・


きょう、ぼくが言いたいことは分かってもらえると思う。


あまりにも、人々は【運命】のせいにしてしまうのじゃないかな?


いまの自分の現状を、他に責任転嫁しすぎるんじゃないかな?


・・・・・・っということでした。(^O^)/




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