・・・・・・っということで、また何も考えずに書き始めます。
公共の場でのマナーについて、何度か書いたけれど、どうしちゃったんでしょうね日本人は。
この場合、昔の日本人と比べてという意味です。
他人へのマナーとか、年寄りへのいたわりとか、公徳心の無さとか・・・・・・
現象面だけを見ていれば、あまりのひどさに暗澹たる気持ちになりますが、
そうなった原因を考えるのは、面白いかもしれません。
道徳感の欠如は、家庭での教育とか、社会の目とか、道徳教育で矯正しなければならないと考えがちですが、
それを実行に移すとなると、骨の折れる作業だし、
その実効となると、はなはだ疑問のような気がします。
もう手遅れなんじゃないかとも思われるのですよね。
私は、citizen(市民)という意識が日本には欠如していると、以前書いたことがあります。
この意識を持たせることが大事だと今でも考えているのですが、
それを持たせる教育法の具体的な提案となると、首をひねらざるを得ません。
昔の日本人は今よりも、ずっとマシな道徳観を持っていたはずです。
その昔と今で、社会システム(?)の違いを検証すれば、
なぜこれほどに道徳観が失われたかを解く鍵があるはずです。
これについても、「世間体」とか、「お天道様が見ている」という感覚の違いにあると、以前書きました。
昔と今の社会システムにおける決定的な違いは、人と人との【距離感】の違いにあったと思います。
言うまでもなく、昔の方が今よりも【距離感】はずっと近かった。
家庭内においても、学校においても、会社においても、社会全体においても、人間の距離感が近かった。
考えようによっては、ウザイ社会ですが。
それが失われた原因は、核家族化が最も大きな役割を果たしていると思うのですが、
通信手段の発達とか、テレビの普及とか、デジタル化がそれを助長させていると思うのです。
要するに直接相手の顔を真正面から見て、話す機会が極端に失われている。
こうやってパソコンに向かって、物を書いていますが、正面から見ているわけではない。
皆あさっての方向を向きながら、コミュニケーションしている。
実際に、物理的な距離はどんどん離れて行くばかりです。
社会の最小単位の家庭内でも、どんどん距離感は失われている。
距離感が失われた結果、他人というものがどんどん無機質な対象になってくる。
一応、人間とは認識されているが、生きた感情を持っているとは認識しづらくなっている。
ましてや、相手との交流を持つチャンスがあるかもしれないなどとは考えていない。
だから、公共の場に居ても、あくまで自分は個であり、周囲に気を使わなくなる。
・・・・・・っと、ここまで書いて、公共心の喪失は、【距離感】に原因があるということが、正しいとする。
でも、それを縮めるための具体的jな方策は?
・・・・・・っとなると、分からない。
もっと、人と正面から向き合って話し、他人との接触する機会を億劫がらずに増やせと言ってもねー。
そこで、突拍子も無い提案だと思うけれど、まず「握手」する習慣を日本にも取り入れたらどうだろう?
次は、フランスのように、男女を問わず頬をくっつけ合うのは反対だが、「ハグの文化」を取り入れて欲しいナァ~