・・・・・・っということで、モラル考の4回目。
今回がタブン最後だと思います。
なにせ、ホテルに缶詰でヒマなもので・・・・・・。
日本人のモラルが低下してきましたねー。
フィットネスクラブでのマナーの悪さは、その縮図といっていい。
じゃあ、昔の日本は何にモラルの基準を置いていたのでしょう?
前回(?)は「世間体」というものを持ち出しました。
今回は、その「世間体」というものを掘り下げて考えてみましょう。
世間体というのは、非常にあいまいな基準ですよね。
要するに、「みっともない」ということでしょう。
何に対して「みっともない」かというと、一般人が行う行為に比べてでしょう。
一般人とは何か。
他人ですね。
日本は他人と変わった行為に対して、「目が厳しい」社会じゃないでしょうか。
外国ではその基準は、あまり厳しくない。タブン。
この目が厳しい社会だからこそ、「独創的」なことも「迷惑行為」も押さえられてきた。
でも、他人の目というだけでは足りない。
人が見ていなければ、みっともないことも出来るということになるから。
そこで、持ち出されたのが、「お天道様が見ている」という概念でしょう。
人間には、そもそも道徳があるという前提です。
世間体も、お天道様も基準が非常にあいまいですよね。
第一、明文化されていない。
でも、日本という国は、こんなあいまいな基準で、ずっと高いモラルが保たれてきた。
世界に比べても、とても高いモラルをです。
この理由を調べたら、面白い学問になるでしょうが、そこへは踏み込めません。
基準があいまいだからこそ高いモラルが保たれたのに、あいまいであるために崩れだしたら止める手立てがない
という弱点が曝け出されます。
今の日本がそうでしょう?
モラルに反した行為に対しても、コレコレこういう基準に反しているからダメですよと言えない。
近頃の若いモンに向かって「お天道様が見ているでしょ!!」と言ったら、鼻でせせら笑われるだけでしょう。
・・・・・・っと、長々書いてきましたが、お気付きのように、「宗教」のことを言いたいのです。
世界の多くは、聖書のここに書いてあるから、コーランのここに書いているから、あなたのやっていることはモラル
に反するのですと、多くのケースで言えるのです。
日本には儒教があるでしょう?との反論があるかも知れません。
私も、日本はかなり「儒教的な」国家だと思います。
でも、儒教は宗教ですか?
「子曰く」と道徳的な言葉で溢れていますが、孔子は神じゃない。
神に比べたら、モラルを律するパワーはずっと弱い。
キリスト教も、ユダヤ教も、回教も、神の言うことには逆らえないんです。
すっごく、語弊のあることを書きますが、中国は儒教発祥の国だけど、中国人のモラルは良いとはいえませんよ
ね。(最低だ。)
これは否定されないと思いますが、大部分の日本人は「無神論者」ですよね。
その言い方が良くなければ、「稀にみる多神論者」ともいえますね。
日本人のモラルの低下を諭すのに、神を持ち出せない。
ここに、弱点があるのです。
アメリカ人がいくらヤクザな国民だとしても、最後は神という切り札を使える。
カードのエースみたいなものですね。
さて、私は日本人のモラルが今後どうなるかについて、非常に悲観的に考えています。
一度下がったモラルを上げることは、切り札なしには至難の業だと思うからです。
前回も書いたように、モラルを教える社会の縮図である「家庭」が、核家族から大家族に回帰するとは思えないか
らです。
逆に、モンスターペアレントといわれる「悪貨」は物凄い勢いで、「良貨」を駆逐していくでしょう。
モラルは低下するところまで低下する。
じゃあ、どこで止まるのか?
それは、世界の目に頼るしかないでしょうね。
日本人の目ではモラルの低下を止める力がなくなったとしたら、それは外国頼りになるでしょうね。
アメリカから、「そりゃみっともない」と言われるのに、とても日本人は弱いと思うからです。
なんか、情けない結論になってしまいましたね。
我ながら、ホントーに情けない結論だと思います。