モラル考(その4) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、モラル考の4回目。


今回がタブン最後だと思います。


なにせ、ホテルに缶詰でヒマなもので・・・・・・。


日本人のモラルが低下してきましたねー。


フィットネスクラブでのマナーの悪さは、その縮図といっていい。


じゃあ、昔の日本は何にモラルの基準を置いていたのでしょう?


前回(?)は「世間体」というものを持ち出しました。


今回は、その「世間体」というものを掘り下げて考えてみましょう。


世間体というのは、非常にあいまいな基準ですよね。


要するに、「みっともない」ということでしょう。


何に対して「みっともない」かというと、一般人が行う行為に比べてでしょう。


一般人とは何か。


他人ですね。


日本は他人と変わった行為に対して、「目が厳しい」社会じゃないでしょうか。


外国ではその基準は、あまり厳しくない。タブン。


この目が厳しい社会だからこそ、「独創的」なことも「迷惑行為」も押さえられてきた。


でも、他人の目というだけでは足りない。


人が見ていなければ、みっともないことも出来るということになるから。


そこで、持ち出されたのが、「お天道様が見ている」という概念でしょう。


人間には、そもそも道徳があるという前提です。


世間体も、お天道様も基準が非常にあいまいですよね。


第一、明文化されていない。


でも、日本という国は、こんなあいまいな基準で、ずっと高いモラルが保たれてきた。


世界に比べても、とても高いモラルをです。


この理由を調べたら、面白い学問になるでしょうが、そこへは踏み込めません。


基準があいまいだからこそ高いモラルが保たれたのに、あいまいであるために崩れだしたら止める手立てがない

という弱点が曝け出されます。


今の日本がそうでしょう?


モラルに反した行為に対しても、コレコレこういう基準に反しているからダメですよと言えない。


近頃の若いモンに向かって「お天道様が見ているでしょ!!」と言ったら、鼻でせせら笑われるだけでしょう。


・・・・・・っと、長々書いてきましたが、お気付きのように、「宗教」のことを言いたいのです。


世界の多くは、聖書のここに書いてあるから、コーランのここに書いているから、あなたのやっていることはモラル

に反するのですと、多くのケースで言えるのです。


日本には儒教があるでしょう?との反論があるかも知れません。


私も、日本はかなり「儒教的な」国家だと思います。


でも、儒教は宗教ですか?


「子曰く」と道徳的な言葉で溢れていますが、孔子は神じゃない。


神に比べたら、モラルを律するパワーはずっと弱い。


キリスト教も、ユダヤ教も、回教も、神の言うことには逆らえないんです。


すっごく、語弊のあることを書きますが、中国は儒教発祥の国だけど、中国人のモラルは良いとはいえませんよ

ね。(最低だ。)


これは否定されないと思いますが、大部分の日本人は「無神論者」ですよね。


その言い方が良くなければ、「稀にみる多神論者」ともいえますね。


日本人のモラルの低下を諭すのに、神を持ち出せない。


ここに、弱点があるのです。


アメリカ人がいくらヤクザな国民だとしても、最後は神という切り札を使える。


カードのエースみたいなものですね。




さて、私は日本人のモラルが今後どうなるかについて、非常に悲観的に考えています。


一度下がったモラルを上げることは、切り札なしには至難の業だと思うからです。


前回も書いたように、モラルを教える社会の縮図である「家庭」が、核家族から大家族に回帰するとは思えないか

らです。


逆に、モンスターペアレントといわれる「悪貨」は物凄い勢いで、「良貨」を駆逐していくでしょう。


モラルは低下するところまで低下する。


じゃあ、どこで止まるのか?


それは、世界の目に頼るしかないでしょうね。


日本人の目ではモラルの低下を止める力がなくなったとしたら、それは外国頼りになるでしょうね。


アメリカから、「そりゃみっともない」と言われるのに、とても日本人は弱いと思うからです。


なんか、情けない結論になってしまいましたね。


我ながら、ホントーに情けない結論だと思います。