中島潤のブログ
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クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ」東浩紀を読了。
頭がよい人が書いているからか難しい言葉が沢山出てきて、多少読みづらい。
評論家東浩紀のエッセンスが散りばめられているため、その辺りを読んだことがあるからか比較的すんなり読むことが出来た。

並行世界とのやり取りを描いたSFなのですが、話が進むにつれて並行世界の数が増えていき、
複雑になり混乱してくるし、後半はなにかどうかは分からないがパラドックスが
発生しているように思えて仕方がなかったが、いずれ読み返した時に考えてみることにする。

話の中心が、35歳問題という村上春樹の小説で書かれる問題となっているように思う。
以下p252から引用。
「ひとの人生は、
 過去になしとげたこと、
 現在なしとげていること、
 未来でなしとげるかもしれないこと、
 だけではなく、
 過去には決してなしとげたことがなかったが、しかしなしとげられる<かもしれなかった>こと
 に支えられている。
 そして生きるとは、なしとげるかもしれないことのごく一部だけを現実になしとげたことに変え、
 残りのすべてを、つぎからつぎへと容赦なく、
 仮定法過去のなしとげられる<かもしれなかった>こと
 のなかに押し込めていく作業だ。
 そして、35歳を過ぎると、
 そのなしとげられる<かもしれなかった>ことの所蔵庫は、じつに大きく重くなってしまう。
 つまり、過去よりも仮定法過去のほうが、存在した過去よりも存在しなかった過去の方が
 大きく重くなってしまう。
 だから人は憂鬱になる。
 そして、その憂鬱からは、私たちがひとつの靭性の中でどれだけ成功し、
 どんだけ幸せを掴んだとしても決して逃れることができない」

というのが35歳問題です。村上春樹の「プールサイド」という短編に出てきます。

まさに35歳の自分はどうすれば憂鬱から抜け出せるのだろうか。
残念ながら、あまり成し遂げた感がないからその憂鬱にさえ行き着いてないような
と思っている事自体が、仮定法過去が大きく重くなってしまったのかもしれない。とも思う。
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歌うくじら 下 

歌うくじら 下 を読了。

やっと読み終わったが、上巻を読んで想像していた結末とはだいぶ違った。
もっと社会的な解決を見るものだと思ったが、個人的な立ち位置に関する解決で終わり
少し不完全燃焼な感じは否めない。

下巻を読んでる途中に思ったのだが、完全に棲み分けがされた社会を理想社会と位置付けてあり
それが上手くいっていないという話は、封健時代で立証されているのではなかろうか。
結局、今の所は資本主義・民主主義がベターな回答であると言っているのかもしれない。

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校区の運動会

日曜日に、独身なのに校区の運動会に参加してきました。
14町内対抗で思っていたよりも盛り上がっており、楽しめます。
とは言え、やはり少子高齢化の影響は大きく、全体的に年齢が高いの実情です。
それでも、子供を連れて町内のイベントに参加することは防犯上もとても意義があるので、
特に子供が居る世帯はもっと参加した方が育児も楽になるというものです。
もうひとつの問題は、結婚が遅くなった事にによる親世代の高齢化。(人のことは言えないですが。)
親世代は、子供が小学生くらいの所は、皆35歳オーバーです。
何が問題かというと、世代別町内対抗リレーで20代のパートを走る人がいません。
その結果、僕が20代で走る事になるということが問題です。

それでも、20代に負けない走りを見せることができ、
町内では足の早いオッサンの称号を得ることができました。

その代償として、膝関節の痛みと極度の筋肉痛でこの二日はシンドイのですけど。
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