悲しい真実です。

もっと詳しく考えると、「継続は力にならない時もある」けど、「力になることは継続してきたことである」だ。

僕は大学1年生のころからポケットモンスターというゲームのレートバトルを続けてきた。

それまでの自分はゲームに真剣になることも、インターネットを介して対戦ゲームをすることすらなかった。それだけに最初は全然勝てなくて、悲しいこともあったが、それも一定のところまでは少しづつ上達をし、達成することができるようになった。

 

ポケモンを初めて約1年、成長は明らかに遅いながらも少しづつ前に進んでいた僕が停滞し始めたのはこのころである。

結論から言うと今もこの時から時間が止まったままである。

同時期に対戦を初めた仲間たちが次々と結果を出していっているのを横目に、ずっと結果の出せない日々。対戦数だけがかさんでいく。

もちろん全くやっていないなんてことはなく、ずっと継続し続けてこの結果である。

毎日月末になると苦しい思いをし、魂や生活リズム、人間として大切な何かをささげながらようやく手に入る停滞。これの繰り返しを2年も続けていると、自分に呆れかえるようになる。

 

そういったことを繰り返しているうちに、僕は一つの結論を自分の中で出すことができた。

強い人、強い人間、才能のある人間、努力をうまく結果に結び付けられる人間だけがスポットライトを当たることができるのだと。

世の中にはきっと自分のような人間はたくさんいて、その人間はだれの目にもとまらない。だから自分だけが弱くて才能がない人間であると錯覚する。

 

そういったことを考えたところで、僕の気持ちは全く休まらなかった。結局僕が欲しいのは慰めや妥協ではなく、大きく偉大な結果であるということを思い知る。

だからきっと僕は今月も相も変わらず夢をみて潜り続けるし、そのたびに玉砕するかもしれない。

いつかトリガーが外れて、強くなれる日を祈りながら。