昨日のブログで、
中国共産党の普通は、
世界にとっては普通ではない、
ということを書いて、
ちょっと思い出したことが。
人は、
誰でも自分のことを
普通だと思っているっていうこと。
それが真実かどうかはさておき。
そう考えると、
こんな考え方もできなくない。
他人を、
批判する時も
称賛する時も
自分のことを
正しいと思う時も、
間違っていると思う時も
自分が
善だと思う時も
悪だと思う時も
自分が他人より
優っていると思う時も
劣っていると思う時も
怒っている時も
笑っている時も。
自分のことを
変な人間だと思っている時でさえ、
そんな自分もまた普通。
それが常に前提であり、
変えようがない、
当たり前の事実だする。
そんなふうに思うと
たとえ誰かに、
どうしよもなく
理不尽なことを言われたり、
無礼な態度を取られても、
自分の感情はあまり乱れない。
この人は今、自分の中では
真っ当な言動、態度だと
思っているに違いない。
少なくともその時点では。
そう思うと、
相手に対して反応的な感情を
もったり、言動をすることも
減っていきそう。
僕だって、まったく自覚はないけど、
他人から見ればアホか?と思われるような
言動をしている時が、絶対にあるだろな。
でもその時に
自分が変わっていて、
他の人からみれば普通ではないと
思われているなどとは意識しないしw
最近、
そんなことを
感じる出来事があったんですね。
あまりにもその人の言っていることが
自分の視点だけに偏っていたうえに、
相手はそれを僕に認めてさせようと
必死になっていた。
そんな姿と態度を見ながら
呆然としてしまったんですね。
この人、苦しいだろうなぁって。
そうかといって、その人の頭の中で
起こっていることに異を唱えたら、
たいへんなことになりそうだなと察し、
すんごい困惑もした。
で、その時に思ったのが、
「この人、自分の言っていることや
していることが、絶対に普通だと
思っているんだろうな。」
ってこと。
そう考えたら、
まぁいいか。
この人の頭の中で
そうなっている以上、もうしょうがない。
って思えたんですね。
そしたら、それまで困惑していた
気持ちが、ふっと軽くなって、
話を聞いていられる実感があった。
これがもし、
自分に実害が及ぶようなことや、
他人に迷惑がかかる
ようなことであれば別だし、
全てそれで
片付けようとしたらダメだけどね。
でもやっぱ、人ってさ。
自分のことをいつも「普通」だと
思っているんじゃね。自覚してなくても。
そう考えている自分自身も含めて。
あの人って、
ちょっと変わっているよねー
って誰かに言っている時、
それを聞いていた人に
「あんたも変わっているよ」って
思われているかも知れないし。
人はみんな、
自分のことを「普通」だと思っている。
自覚はなくても、
そうは考えたことがなくても。
みんな自分のことを普通だと
思っているのだとしたら、
僕から見れば、あなたは普通ではない。
あなたから見れば、僕は普通ではない。
ってこと。
じゃぁつまり
みなさんも、僕も、普通ではない。
そう、普通の定義なんて存在しない。
ややこしいw
相手にとっての普通を
理解してあげようとすることができて、
自分の心も穏やかでいたい。
そんな気持ちになった時には、
こういう考え方もアリじゃないかな。
って思ったのでした。