1854年1月、黒船で知られるあのペリーが再来した時、その船に乗り込んで密航しようと様々な手を尽くしたが願いわ叶わず、牢獄へいくこととなった人物がいた。
『外国へ行くことは禁じられているが、世界が見たい。密航が知られれば殺されるが、慈愛の気持ちで乗船させてほしい』という手紙がアメリカでも発見されている。しかしペーリは彼の必死の頼みを拒絶した。
その人物とは、あの吉田松陰。
投獄された松陰だったが、いつでもどこでも学ぶことは忘れなかった。長年にわたり獄にある囚人たちに「孟子」の講義を始めた松陰。牢獄は学びの場へと変わった。
松陰が説いたのは「孟子」の教えだった。それは言葉にすることは簡単だが、実行するとなると極めて難しく厳しい教え「好善」だ。
それを実行しようとしつつ努力を重ねることが前提ならば、時には老荘思想のように、自分はやるべきとを行い、あとはなるようになるという生き方、両方を融合させてよいと僕は思う。
なぜん突然こんなことを書き始めたかというと、最近また孟子の言葉を読み始めてみた。今の自分は「孟子」の教えを目指したい。そんな気持ちのこの頃です。こんな言い方をすると批判を浴びるかもしれないが『孟子モード』の日々だ。
今日の孟子の一言。
『流水物たるや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。』
訳)
流れ行く水というものは、途中にある窪みを1つひとつ満たさなければ、決して先へは流れていかない。心ある立派な人が成人の道を学ぶことも同じで、1つひとつ区切りをつけて完成させなかれば、決して最後の目的に到達することはできない。
さぁ、心身専一に歩を進めよう。
