【半沢直樹の『相手の受け止め方』】 | Live with Max.

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 先日、今更ですがテレビドラマの『半沢直樹』を観た。僕はドラマというか、テレビはまったく見ないのですが、友人に勧められてネットで視聴してみた。面白くて原作も読みたいと思うほどだった(最近は『医龍』も観た)。


 ストーリー全体やキャスティングもなのですが、観ていて『はっ!』と考え込むことがあった。


 鋭い目つきと声で『やられたらやり返す、倍返しだ!』という言葉通り、保身や私欲のために、権力や立場を悪用して不正をしたり、人を切り捨てるような相手を徹底的に丸裸にして、その報いを受けさせる半沢。それは正義、いつも『誰かのために』という姿だ。


 ところが、その助けようとする相手は、半沢に対して最初は敵意をあらわしていたり、寄せ付けない態度をとることが結構あるんですね。それでも相手を助けるために協力を求めるけど、『お前なんかに何が分かる!』という感じで逆に怒りや見下されたような態度をとられてしまう。

 僕はドラマと分かっていても不快に感じてしまうが、半沢は決して不満をこぼしたり、相手を見放したりすることはない。それでもその相手を助けるために必死に行動を続ける。

 そうしているうちに、その相手がはじめからそんな態度をとるような人ではなく、そうならざるをえなかった事情や背景が明らかになっていくんですね。
 半沢の行動と熱意は、やがてそういった人の心を動かして協力関係になり、見事に悪党を懲らしめていく。

 そんな場面が何度かあるんですが、そんな半沢直樹を観ていて感じるのは


一見、不快と思える言動をする人がいても
それは何か理由があってのことなのかもしれない



ということ。
 そして半沢はそれを常に受け入れていた。それが相手の心を動かしていることが読み取れる。助けようとした相手の背景や事情を知らずとも、半沢は全てを受け止め、自分のやるべきこと、できることにただ全力を注ぎ続ける。

 終盤では、協力してくれていたはずの同僚の裏切りとも言える行為にあうも、『俺一人でやらなきゃいけいないことに、お前を巻き込んでしまったんだ。お前の立場だったら、俺も同じことをしていたと思うよ』と許すどころか、裏切られたと感じるような素振りすらもみせない。


 そんな半沢直樹を観ていて思うこと。

 相手の言動に感情的な反応を示してしまうのをゼロにすることは難しい。相当な修行がいるだろう。その場でその気持ちを思わずあらわにしてしまったり、逆に陰で人のことを悪くいったり、見下したりするようなことをしてしまうことがあるかもしれない。
 
 そんな自分に気づいた時は、悪感情はいったんわきへ寄せて

『相手の言動が事実である』

そう考えてみるくらいはしてもいいのではないだろうか。これが半沢直樹の『助けようとする相手の受け止め方』に思えた。
 現実ではドラマのようにそこから良好な関係へと発展するとは限らないけど、そんなことに期待せずとも、自分から悪感情を持って他人のことを陰でグチグチ言うようになることに比べれば、よっぽど心穏やかにいられる。

 そんなことを少しずつ積み重ねていけば、相手の言動を事実と考え、感情的にならずに受け止める姿勢もみについていくかも知れない。不快な感情で自分を苦しめることもない。

 半沢直樹のいくつかのシーンを思い出しながら、そんなことを考えていた。

 
 相手に冷たい態度をとられた時に、その出来事一点ではなく、
『あの人はそんな人じゃないよな。タイミングが悪かったんだろうか。自分がそう受け止めてしまっただけで、むこうはそんなつもりはなかったのかも知れない。』
と、全体像を考えてみる。

 身に覚えのないことや、明らかに相手の勘違いで責められたりしても、
『そう思ってしまったのは、あの人だからこその理由があったのでは』
と、相手の感情的な部分まで落ち着いて思いをめぐらせてみる。

 仕事でいえば、部下を叱ろうとする時に、その行為の背景に
『間違っているけど、悪いことではない。』『もしかしたら、本人は良かれと思ってしていることなのかも知れない』
と、考えてみると注意の仕方にも気を遣わすことができる。

 僕らの日常によくあることではないだろうか。


一見、不快と思える言動をする人がいても
それは何か理由があってのことなのかもしれない


 それを受け止めようとするのか、しないのか。この差は大きい。どんなに相手に冷たい態度をとられても、常に『誰かのために』という思いで、行動し、正義を貫く半沢直樹。
 受け止めるようにしているつもりで、実は相手の言動次第で判断しているだけになってはいないだろうかと考えさせられた。

 そしてもう1つ。相手に煙たがれているように見えても、助けるべき相手を決して見放したりしない姿勢。僕が折にふれて読み返すようにしているケント・M・キースの『逆説の10ヶ条』の1つ。

 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差しのべると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。

 この言葉を思い出した。理由など関係ない。助けることが正しいと自分が信じること。それだけが唯一の判断基準。

『いやいや、確かにその人が困っていて助けを必要としていても、それを相手が望んでいないのに、助けようとしても相手の役に立てないだろう。』

 そう考える人もいるだろう。たしかにお節介となり、実際にそうなる時もあるかも知れない。善意のつもりが、逆に不快感を与えてしまったり、困らせてしまったり、余計なことしないでくれと言われたり、何か利己的な理由でもあるのでは?と疑われたり、無視されてしまったり、重荷に感じられてしまったり。

 
『そうなることを避けるために、相手の状況を観察しながら助ける必要があるかどうかを判断するのか?』

『そうなるかも知れない。それでもなお、人を助けようとするのか?』

 どっちが正しいというわけでもないし、その時々で変わってしまうものなのかも知れない。

 ただ、自分が生きる意味を真剣に考えた時、あるいは求めようとした時、半沢直樹のように自然と後者を選んでいるものなのではないだろうか。


 半沢直樹は、かつて自分の両親を追い込んだ相手に報いを受けさせようとするその過程で、自分や周囲に降りかかった災難を解決し、悪事を働く人間を懲らしめていく。そこが痛快ではあるが、その中に垣間見る『誰かのために』、半沢直樹のそんな姿が僕には一番印象的だった。

 



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