【心とは形、形とは心】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。




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 今日は5時15分に起床し、三吉神社へ。
 

 モモを連れて行きたかったので、人の少ない早朝、と思っていったのだが6時前だというのに次々と人がやってくるのに驚いた。


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 僕がお参りをする前に、小学校低学年くらいの男の子と、そのおじいちゃんらしき2人がいた。男の子はいきなり鈴をガンガンと興味深そうに鳴らし始めた。作法など教えてもらっていないのだからしょうがないだろうが、その鳴らし方は結構乱暴で、その姿に慌てたのかおじいちゃんが『コラ!』と鈴緒を掴みおさえた。

 そしておじいちゃんは男の子へ参拝の作法を説明しはじめていた。意外にも、その子供はおじいちゃんの話を興味深そうに『へ~』と言いながら聞いている。いい子だなぁ、僕が男の子だったら『めんどくせ~』って態度だしているかもな。

 そんなことを思いながら、僕もお参りしようと前に進みお賽銭を取り出そうとしたときに、隣でおじいちゃんがこう言う。『お賽銭は、神様へ感謝の気持を込めてお供えするものだから、投げないでそっと箱に入れてあげるんだよ』

 僕はこのことを知らなかった。というか参拝の作法すらけっこう最近までほとんど知らなかった。作法には多分色々と諸説があるだろうけど、確かにおじいちゃんの言っている通りだなと思った。しかし賽銭箱の周りにはもう1つ囲いがあって、箱の中にそっと入れることはできない。どんなに腕を伸ばしても賽銭箱は目測だが、あと50~60cm先といった感じ。

 こういう場合は投げるしかないかと、一瞬思ったが箱の手前にはたくさんの小銭やお札があるのが目についた。お札はムリだろうが、決して小銭を投げて的を外すような距離でもないし箱の大きさもある。にも関わらずこれだけのお金があるということは、箱に入れるのではなく、そこに置いた人がそれだけいるということじゃないだろうか。

 お賽銭は賽銭箱に入れるものだと思ったけど、おじいちゃんの話に納得した僕は、箱に入れるのを諦めて、箱の手前にそっと小銭を置いた。この方がいいのかなぁと迷いながらではあったが。

 90度の拝を2回繰り返し、2拍手。出かける前に、作法を一応調べた時に知ったのが、拝とは背筋をしっかり伸ばし腰を深く折る、神様を敬う最敬礼。僕は今まで会釈程度しかしていなかったが、今日はしっかり最敬礼まで腰を折ってみた。
 日々の出来事と、色々あったが今こうして元気に参拝できていることにも感謝。そして今の決意をお伝えし、一拝。

 たしかに拝は最敬礼が当たり前だよなぁ。考えなくても分かることじゃないか。なんでそれすらも考えなかったのだろう。参拝を終え、おみくじを引きにいきながらそんなことを考えてみた時に、僕はふっとあることを思い出した。

 僕は新しいスタッフの研修をする時に、『頭でするんじゃなくて腰を折って会釈をする』ということを必ず言っている。その状況にもよるが、それがお客様に対しての礼というものだから。いくら自分がちゃんと心を込めて挨拶をしていますと言っても、それを伝えようとすることで初めてその意味があるんじゃないだろうか。
 笑顔で相手を見て、明るく、そして頭じゃなくてしっかり腰を折り会釈をして挨拶をする。心を込めるということは、そういうふうに形に表すこと。心を込めたいと思うからこそ形に拘る。心がなければ形など拘らない、もしくはさっきの男の子のように形を知らないか。僕そうは思う。

 こんなことを書いている僕が『拝は最敬礼で当然だろう』と思いながら、会釈程度しかしてなかった理由は、神様が目の前にいるわけではないから。それが正直な理由だろう。何も意識していなかった。もし本当に目の前にいるのだとしたら、きちんとしているはずだ。知らないならまだしも、それで心を込めているだなんてとても言えなぁと気づいた。

 職場でも、周囲には『頭で挨拶をしてはいけない』などと言っておいて、自分も心が形にあらわれていない、意識しているとは言えないような行動を気付かずに続けてないだろうか?思わずそんなことを考えていた。

 『そこに気づきなさい』まるで神様にそう導かれたような気持だった。

 しかし何から何までそんなふうに意識するのは難しいかもしれないし、それができていないからといって、それは全て心がこもっていないからだと自分を戒めるのは苦しいかもしれない(できるだけ形にあらわすという気持は変わらないが)。
 
 心を込めたい相手が目の前にいなくとも、たくさんのことはできなくても、自分ができることには、たとえそれが1つであっても、できるだけたくさんの心を込めたい。心を形であらわして伝えたい。それだけが行動の判断基準。誰かがそれを良いことだと感じようと感じまいと、誰かが感謝の気持を持とうが持つまいが、心を込めることに意味がある、自分がそう思うことを大切にしていきたい。

 まだ静かで暗い帰り道をモモと歩きながら、そんなことを考えていた。
 
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