昨日の夜、2人の大学生のアルバイトスタッフが、トレーニングをしながら
職業のことについて語り合っているのを傍らで聞いていた。
大学というのは、学部によってある程度目指すべき方向が入学する
前から定まっている場合がありますよね。
もちろん、全く異なった分野へ進む場合もありますが。
この2人の学生の内、1人は医学部医学科でして、そうすると医師に
なることを目指すわけなのですが、その過程の中で、その夢を断念
してしまった学生の話がでてきました。
その学生が医師になることを断念した理由
人体解剖の実習をして、
【これはやっぱり自分には合わないと思ったから】
傍観者的には、そんなの医者になるんだから、解剖実習なんて当たり前。
と思ってしまいそうだが、もちろんその学生だって、そう思っていたはずです。
しかし、実際に直面したら、それが想像を超えるほど、その学生にとっては
合わないというより苦痛だったんですよね、きっと。
人体に直接メスを入れる医学生特有の実習で、医者になりたい正常な人間で
無い限り、進んでそれをやりたいと思う人は稀でしょう。
さて、この話しを聞いて私はこのようなことを感じた。
---------------------------------------------------------
自分自身で成長を停止させる行動をっとっていなか?
---------------------------------------------------------
誤解のないように、最初に言いますが、ここからは、上記の話しを聞いてて、
それを私が
【自分の仕事や生活に当てはめて感じたこと】であり、
決してこの学生スタッフの話に登場した学生を批判したり、説教をしている
わけではありません。
自分がやりたいこと、夢や達成したいことを成し遂げるには、
嫌でも、面倒なこと、大変なこと、困難に何度も何度も直面するものですよね。
そういった困難にあわないように努力をするということもあると思いますが、
それよりももっと大事なのは、それを克服しようとするプロセスだと思うのです。
何故なら、
『自分には合わない』
『自分は〇〇だから、こういうことが苦手だ』
これを言った瞬間に【自身の成長】という思考が停止してしまうからです。
もしくは
『〇〇が違うから』
というのも同じです。
この言葉のもっと怖いところは、それを言うことで自分に対する責任がなくなる
わけですから、それが成長を妨げるものであることにすら気付けなくなることです。
面倒なことや、苦手なことを避けたいという気持ちがある限り、自分が目指したい
道を進みたくても、仮に辿り着いたとしてもそこからは必ず身がもたなくなる。
この話を耳に挟みながら、それを自分の仕事や生活に当てはめて
常に困難やリスク、面倒なこと、嫌なこと、苦手なことには嫌でも向かいあって
取り組んでいかなくては成長出来ないよなぁ・・・ということを改めて真剣に
考えさせられたのです。
現在や過去の自分が、自分の責任以外のことへと、そいうったことから逃れる
理由を作り、避けてきたのではないかなぁということを、振り返っていました。
そして『克服する力』をつけるために、あえて困難や苦手なことと、正面から
ぶつることを選ぶことも必要なんですよね。
自分でこんなことを書いていると、何だか反省ばかりが次々に頭に浮かんで
きてしまいます(汗)
う~ん、なんだか真面目過ぎるなぁ(笑)
この話しをしていた当人も、いずれそいうったことに直面すると思うが、頑張って
困難に負けずに乗り越えて、素晴らしい医師になり、どうか私が病気になった
時には助けてもらいたいhaha