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まいどっ!

消防設備士もっきーです。




 

【もきペディア】

 

消防設備士もっきー(佐藤 幹 さとう もとき 1982年6月22日)は、いじめられっ子からのプロボクサーを経て、現株式会社トーシンの代表取締役社長。大阪府出身。血液型はO型。

 

 

〇画像

 

 

 

〇経歴

 

・誕生期

昭和57年6月22日未明、一家の長男として大阪府八尾市の病院で生まれる。

たぶん安産である。

 

・幼少期

おじいちゃん、おばあちゃん、父(株式会社トーシン初代代表取締役社長)、母、もっきーの家族構成だった。

のちに次男が誕生する。

かわいいと言われていたと思うが、多分その頃は誰でもかわいいと言われる。

 

・幼稚園期

入園の日に、新境地に入ることと母親と離れることを恐れ、おもいっきり泣いたとされる。

他の園児たちが砂場で山を完成させたところで、蹴飛ばしたりする、いわゆるいたずらっ子であった。

クリスマスの日に園長がサンタの格好をして現れ、他の園児たちが気づかないところ、「園長さんや!」と叫び園児たちの夢を潰した。

トイレに付き添いに入ってきた先生に「エッチ!」と言う。

 

・小学生期

ドッジボールなどの球技とテレビゲームが遊びの基本であった。

弱気な性格であったため、いじめられっ子になる。学校で毎日のように泣いていた。

体育と図工はトップであったが、字が汚いのもトップだった。

5年生か6年生にとき、テレビで辰吉と薬師寺のボクシング試合を見て、のちにボクシングを始めることになる。

 

・中学生期

いじめられっ子だったが中学にあがった途端、急に自分が強いことに気づく。いじめていた同級生とは親友になる。

サッカー部に入ったが1週間で辞め、帰宅部となる。

遠足で黒いベンツから降りてきた暴力団員を見た瞬間「ハゲー!」と言ってしまい、すぐに教員達が暴力団員に謝罪するが本人は走って逃げたという。

2年生のとき、3年生の暴力団組長の息子が自校、他校と問わずカツアゲを繰り返していたことに腹が立ち、その3年生の男子をボコボコにする。学校側はその件について慌てて対応の会議、準備をしたが所詮、中学生同士の喧嘩ということで暴力団が出てくることはなかった。学校側が必死になるものの本人は逃げる準備万全であった。

同じく2年生のとき、ボクサーになることを志す。その頃から登校する前にランニングをするようになった。その通勤、登校前に走るというスタイルは、その当時からボクシングを引退するまで続く。

 

・高校期

入学三日目くらいで、先輩20人くらいに囲まれ、ボコボコにされる。

ボクシング部に入部し、主将になるもののアマチュアの試合には勝てず、プロのボクシングジム(大阪帝拳ジム)へ入門する。

アマチュアの試合では反則負けの最高記録がある。

ボクシングジムに入門し、トレーナーに初めて社会で生きていく上で必要な敬語というものを教えられる。もちろん最初はかなり怒られた。

当時、なっちゃんのCMに出ていた田中麗奈に似ているとされ、学校でのあだ名が「なっちゃん」になる。

ボクシングの練習で顔を腫らして登校することから、学校でのあだ名が「がんこつ岩男」になる。

朝のランニング中に便意を我慢できず、野で用をたした事から、学校でのあだ名が「野グソ」になる。

 

・上京期

高校を卒業しプロボクサーになるため上京するものの、始めは家を借りるお金もなく野宿であった。

公園で「東京は人も冷たいし、外も冷たいな」とつぶやく。

アルバイトを転々としながらボクシングジム(協栄ジム)へと通う。

多すぎるアルバイト歴は以下のとおり。

(喫茶店、警備員、パチンコ店、古本屋、ドライバー、弁当屋、ディスカウントショップ、スーパー、デリバリー)

映画ロッキーから、あだ名が「もっきー」になる。

ラーメン二郎に出会い、ジロリアンとなる。

 

・奮闘期

20歳の頃ボクシングのプロライセンスを取得するとともに、デビュー戦に勝利。

北海道、札幌での遠征試合では劣勢に続き、このまま負けると思われたラストラウンド、試合終了の7秒前に左フックで相手を倒し逆転勝利したことがあり、皆にラッキーと言われているが本人は実力と言っている。

試合の2週間前にアゴを骨折したことがあり、そのまま試合に出場した。骨折したアゴに何度もパンチを受け、その試合の結果は判定負け。

1ラウンドにKO負けを喫した試合をきっかけにキックボクシングに転向する。

キックボクシングの某団体で当時の最短記録でプロになるが、当時のキックボクシング自体、競技人口が少ないため実は大したことはない。

2年間の期間をおいてボクシングへ復帰する。

ボクシング、2年9ヶ月ぶりの試合に勝利した後、即行でラーメン二郎を食べに行く。

引き分けの試合を最後に、怪我でこれ以上続けるのは難しいと判断し、引退する。

 

 

 

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・社会人期

26歳。地元、大阪に帰ってくるが、ラーメン二郎を食べれない事に後悔する。(現在は二郎系ラーメンが大阪に多数あり。)

株式会社トーシンに入社する。

消防設備士の国家資格を取得し、いち社会人となる。

自ら、「消防設備士もっきー」と名乗り、このブログを始める。

北乃きいのファンであることを明かす。

北乃きいの写真集を購入する。

写真集の北乃きいにチューをするか迷う。

 

※以上経歴は2013年4月7日投稿記事。

 

以下、追記。


・ここ10年くらい前から現在

A子ちゃんに告白するもフラれる。

平成29年1月10日。34歳。株式会社トーシンの代表取締役社長に就任する。

B子ちゃんに告白するもフラれる。

業績は3倍に膨れ上がり「ボクシングより経営の才能のほうがあったな。」と遅くも気づく。

C子ちゃんに告白するもフラれる。

ブランド「防災のトーシン」を発足。

めぐちゃんに告白するも100回くらいフラれる。

 

2024年8月24日、現在に至る。

 

 

 

 

 

 

〇人物像

 

・同じ服を毎日着るスティーブ・ジョブズを真似して、私服ではトップスのみチャンピオンしか着ない。なんでも「ボクシングでチャンピオンになれなかったから服だけチャンピオンにしとく。」との事。

 

・企業PV動画の撮影ロケでは、自身が通っている自宅近所の美容室のスタイリストをヘアメイクに起用し一緒にBBQシーンに出演してもらうなどした。そのスタイリストの子供の誕生日には毎年、チャンピオンの服などをプレゼントしている。

 

・同級生との食事中、小学生の頃の遠足の話をしたことがきっかけで、会社に年3~4回、通常営業日に業務をしないで従業員全員で日帰り旅行に行く「遠足」をいきなり導入した。

 

・高卒だが知能は高く、経営に関することは日々、情報収集し学んでいる。中学生のときのテストはいつも名前も書かず提出していたが、3年の中間テストのとき一度だけ勉強し、それがクラスで2位の成績だったことで周りを脅かせた。

 

・週に3回ほどスーパー銭湯に通う。どうせ風呂に入るんだから広くてアメニティが充実しているほうがいいとの事。

 

・ヒゲ脱毛に通うなど男だが美容には気を使っており、顔は年齢より若く見える。週に1回、白髪染めトリートメントを使用している。

 

・2023年から健康維持、ダイエット目的で、競技主体ではなくフィットネスのキックボクジンムに通っている。トレーナーのプロ試合に応援しに行くなどしている。

 

・連休にはいつも父と弟家族と旅行に行く。会社では社長だが、家族では運転手として働いている。

 

・好きな食べ物はラーメンで、週に最低5回はラーメンを食べる。よく行くラーメン屋の店主とは「社長、最近どうでっか?」など景気について会話している。

 

・未婚。当時、好意を寄せていた女性にプロポーズをするために、アクセサリー作りが趣味のめぐに婚約指輪の制作を依頼した。その指輪を持ってプロポーズするも結果は断られ、めぐには呆れられた。

 

・まーが採用面接に来たとき、まーが何を言っているか分からなかったが「面白いな。」と言って即決した。

 

 


 

さて、今日も防災防災っ!