もうすぐクリスマスです。
イタリアでは街中きれいな飾りつけの施された通り、お店のウィンドなどが一番華やかになる時期です。
カトリックのイタリアでは日本の商業用の催しだけとは違い、
クリスマスは非常に宗教上で重要なお祝いです。

企業間でもこの時期は色んな取引先やお得意先、お世話になった人に感謝の気持ちをこめてプレゼントをします。いわゆるお歳暮みたいな感覚ですが、お歳暮と違うのはプレゼントするものは主に、食べ物ではなく、もらった人が喜んで使ってもらえる個人的使用のものを選ぶようです。


普通の人たちの間でも、親戚や家族間、恋人、友人同士、なんと同僚にもプレゼントを贈りあいます。

なので、この時期はお店にとっても一番仕事が忙しい時期で、
普段日曜日もしまっているのが当たり前のイタリアのお店も12月だけは日曜日も開いているのが通常です。
宗教上非常に重要なイヴェントではありますが、随分昔と比べてイタリアでも商業的な意味が強いのは確かです。


クリスマスだから、これくらいの値段のプレゼントをあげないと

とか

貴重なプレゼントをあげて愛する人に愛をしめそうよ


などと、美しい言葉を並べ立て、メディアが消費者をかなりあおっているな、と
外国人の私の冷めた目から見て思っていても、
この国で生まれ育った人には、この習慣は当たり前で
大事な宗教的お祝いには気前よく振舞わなくてはいけない、という強い洗脳に気づきもしないことがほとんど。

そういう雰囲気がクリスマスシーズンには漂ってくるので、
12月になるとレストランやお店などの商業施設をを一軒一軒回って寄付を募る「自称(?)貧しい人」たちがちらほら出没する時期でもある。
「貧しい人や困ってる人に食べ物を与えたり、助けてあげなさい」と教えを受けているイタリア人はそういう人に小銭を分けてあげる人が結構います。




何年か前の話のクリスマス時期にこういうエピソードがあります。
(通常海外在住者のブログランキングが高くて非常に精力的に作られているブログは日本にいる人向けに個人的ビジネスもかねていらっしゃることもあるので、主に夢のある、そして誰が聞いても心地よいさわやかな情報で、万人向けの内容を書いてることが多いのですが、
私はただの個人向けで、自分自身~周りの人や地球の反対側から見てくれている人に何かの気づきに役立てればと、今回あえて少しだけ寂しい話を書いてみようと思います。詰まんなかったらごめんなさい。ゆきだるま

あるお店に中年女性が入ってきて
病気の子供がいるのだけど、仕事も無く貧しいので子供に与える薬も変えない状態です。
どうか薬を買うための小銭を分けていただけませんか?
と、言われて同情したそこで働いていたイタリア人複数がその女性にお金をみんなであげました。

その女性は翌年の同じクリスマス時期にも来ました。
今度は(内容は覚えてないけど)違う事情でお金を恵んでください、という内容でした。
しかも今度はアルコールの匂いをぷんぷんさせながらお金をせがみにきました。
さすがのイタリア人達もその時は怪しいと思って、あなたにあげるお金は無いと断りました。
彼女が帰った後、今回分かった事は「去年の病気の息子さんに買うための薬代」も、アルコール代に消えたのであろうということでした。
おそらく、前年に小銭を分けてあげた当時も本当かどうかの多少の疑問はあったのでしょうが、もし深刻な状況であれば、ほんの少しの小銭でお子さんが助けられるならば、という気持ちで金を上げたのでしょう。ただ、今回だまされたことがわかったとしても、おこるわけでもなく「とりあえず、彼女に病気の子供さんがいなかった、ということだけでも良しとしよう」という結果になりました。

私は第三者の目から見て、
さすがカトリックは慈悲深い国だな、と単純に感激したりはしませんが、
ある意味評価するべき行為だとは思います。
ただ、この習慣があるから、嘘をついてまで小銭をもらいにくる人がいるのも事実だと思います。
日本では生活保護システム、というのがあるせいか、こういう話は聞かなないとおもいますが、、
どちらが正しい・間違ってるというのは言い切れないものの、
なんかお国の違いがみえますよね。
フィレンツェの天翔船のブログ-フィレンツェのドゥオーモ クリスマス2012
写真はこちらから拝借しました。
イタリアの新聞社のサイトより