まもなく1年 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪





先週末、父の一周忌の法要が行われました。


今月末で、父が逝ってしまってから1年。


もう1年とも感じますし、まだ1年とも感じます。




父が旅立つ数日前まで、私とピピウは日本にいました。


私とピピウがイタリアへ戻ったあと、入院したと聞きましたが、きっとまた退院できると思っていました。


父の最期の時にはそばにいられなかったし、葬儀にも参列することはできませんでしたが、ピピウと4年ぶりに日本へ行って、父と数日でも過ごすことができて、本当に良かったと思いました。





今、世界は近いはずなのに、政治的な理由からだんだん遠くなっているように感じます。



私がイタリアに来た2004年、誰が冷戦時のようにロシア上空を飛べなくなると思ったでしょうか?

誰が今のイタリア(ユーロッパ)のインフレ、チケットの値段高騰を考えたでしょうか?


考えた人もいると思います。


でも、私は考えていませんでした。


緊急の時は、24時間あれば、実家へ戻れると思っていましたし、実際にそれが可能でした。


世界がある程度平和だったころは。




パンデミックに、それが終わったかと思うと戦争。


ここ数年で、世界が目まぐるしく変わりました。


世界規模のことなんて平凡な生活を送っている自分には関係ないと思っていたのに、まさにその影響を受けています。






でも、とりあえず、去年、父に最後に会えて良かったです。


お別れは直接言えなかったけれど、"ありがとう"は直接言えたから。


ピピウも父が咳き込めば背中をさすり、父が立つときは小さな肩を貸していました。


6歳に近かったピピウ。


きっと父のことはこれからも覚えているでしょう。




父のことで後悔するとしたら、やはり、イタリアまで来てしまったこと。


親のことを考えるなら、近くに残っていた方が良かったでしょう。


でも、果たして、それで私は幸せになれたのでしょうか?


もしかしたら、今よりも幸せになれていたのかもしれません。笑


でも、もしかしたら、そうじゃないかもしれない。


"もしも"の話で、いくら考えても答えは出ませんが、一つ確かなのは…


後悔することはあっても、親のせいにする後悔は何一つないということ。


今まで自分で決めてきて、私の両親はいつもその私の決断を応援してくれました。


"あの時、父と母がこう言わなかったら…"と思うような後悔は何一つありません。



したいことをしてきたので、そもそも私は後悔自体が少ない方だと思いますし、後悔はいつも自分のせいだと思っています。


自分で決めたから。




私自身、親になってみて思うのは、それってなかなか難しいことだなということです。


やっぱり、我が子の将来の事や、人生の事となると、やっぱり口が出そうになる気がするから。


我が息子も生きている限り後悔をすることはあるだろうし、後悔もすればいいと思います。


ただ、私とダンナが息子の後悔の原因にはなりたくないなと思うわけです。


私たちのせいで、人生、後悔してほしくない。



私の両親をお手本に、息子の判断と決断は出きる限り応援してやりたいと思います。






これから先ずっと、この時期になると父のことを思い出すことでしょう。


そして、ずっと感謝し続けることでしょう。


ありがとう。









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