尊重しあうこと | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

 

 

 

さて。

 

サルデーニャバカンスの帰路で、イノシシと事故をしてしまったことは昨日のブログに書きました。

 

 

事故っても、車の安全性には特に問題がなかったので、そのまま車で港へと向かった私たち。

 

港に着いたのはフェリーに車が乗り入れる時刻ピッタリ。

 

ところが、フェリーに何か問題があったのかなんなのか、フェリーに車を乗り入れるための指示がなかなか始まりません。

 

指示を待って並んでいる車から、だんだん人も降りてきて、外の空気を吸ったりしていました。

 

 

この時、もう夜は明けていて、辺りは明るくなっていました。

 

 

なので、私もダンナも車から降りて、車の破損部分をじっくり確認。

 

 

「いや、思ったほどのダメージではないな。

ぶつかった時はもう、車で港にたどり着けないだろうと思ったから…。」

とダンナ。

 

「ほんとだね。私たちにケガもなかったし。」

と私。

 

 

そんな会話を、ナンバープレーの外れてる車の前でしてたもんですから、私たちの車の隣に車を止めていたある家族が、ものすごく不審そうな顔つきで私たちを見てるんですタラー

 


視線をものすごく感じたので、「実は、ここに来る途中、イノシシにぶつかって。もう、港にたどり着けないかと思ったんです。」って話をその家族にしたんです。

 


すると、ミラノ在のこの家族、「そうだったの!?大変だったわねアセアセケガはなかった?」と心配してくれまして、ダンナが事故の時の様子とか、警察の対応とか、まぁ、時間つぶしじゃないですけど、その家族と話してたんです。

 


その家族は、「最近は猟をする人たちも減ってるし、野生動物保護の理由から、イノシシが増えてきているらしいね。町の近くでも見かけるから、本当に危険だし、迷惑な話よ。イノシシとの事故は本当に危ないからね。あたなたち、ケガがなくて本当に良かった。」と。

 

 

私たちが話すイノシシの事故の話をそばで聞いていたピピウは

「どうしてイノシシは道に飛び出してきたの?危ないね。」

聞いてきました。

 

「イノシシは交通ルールを知らないからね。本当に危ないよね。」

と私。

 

「イノシシ、死んじゃった?」

とピピウ。

 

「警察の人が見に行ったけど、たぶん、逃げたんだろうって。

だから死んでいないと思うよ。

あまりケガもしてないといいね。

私たちもケガしなくて、よかったね。」

と私。

 

そんな感じでピピウも交え、そのミラノの家族と話していると…

 

 

 

私たちのところへ、一人の女性がやってきました。

 

 

 

その女性は私とダンナに

「ごめんなさい。ちょっといいかしら。

そこで話を少し聞いていたんだけど…。

私、ちょうどその子(ピピウ)の年齢の子供たちのために働いている者です。

子供の前で、あまりそういった話(イノシシとの事故)はしない方がいいですよ。

私にはこの子が怖がっているように、不安がっているように見える。」

と話し始めました。

 

 

それを聞いた、ミラノの家族の一員のおばあさんは

「そんなことないわよー!

別にこの子は怖がってなんかいないわ!」

と言っていましたが。笑

 

 

私は(もちろんダンナも)、ピンときたんですよね。

 

 

きっとこの女性は…

子供相手の仕事をしているのも、ピピウのことを思って私たちに話しかけてきたのも、嘘じゃないかもしれないけれど…

ピピウのことを第一に思って来たわけではないなと。

むしろ、ピピウは私たちのところに話しにくる“理由”だったなと。

 

 

その女性は次にピピウに話しかけました。

 

「名前は?何歳なの?

大丈夫よ。きっとイノシシは無事よ。

だから、心配しないで。」

 

そして、他愛もない話をピピウと少しして、

 

「私の車はあそこなの。見える?

私のかわいいワンちゃんが呼んでるから、車に戻るわね。

あのワンちゃんはずっといじめられてきたから、私が離れると不安になっちゃうの。

ピピウ、会えてうれしかったわ。またね。」

 

そう言って女性は自分の車へ戻って行きました。

 

 

 

 

 

彼女は動物愛護者だと思います。

 

だから、きっと、私たちがイノシシを車でひいてしまった話を聞くのは、不快だったのだと思います。

 

 

ま、ピピウが不安になるからその話はやめなさいっていう意味も確かにあったとは思うのですが、彼女が一番私たちに言いたかったのは、そんな話は聞きたくないだったと思うのです。

 

 

これに関しては私たちも軽率だったなと反省。

 

 

私たちにその気はなくても、私たちが話していることを誰かが不快に感じたのなら、申し訳ないと思います。

 

 

そして、この女性はその忠告を、言い争いにならないように遠回しに伝えてきたし、怒鳴ったり、不必要な抗議をしてきたわけではないので、私も「あ、気をつけないと。」「ごめんなさい。」と思ったワケです。

 

 

 

 

 

私から見て過剰な動物愛護精神を持った人とか、動物愛護精神からくるベジタリアンの人や、ビーガンの人たちというのは、イタリアにはけっこう多いと思います。

 

私の知り合いや、生徒さんの中にもチラホラ。

 


でも、当然ながら、そうした人たちも考え方が本当に様々です。

 


「私はこう考えるから、肉は食べないという選択をしたけれど、それと同じように、他の人が肉を食べるというのは、またその人の選択だから干渉しない。」という人もいます。

だから、その人は肉を食べないけど、その人の家族はみんな肉を食べるとか。

 

中には、「どうして動物を食べられるか理解できない。みんな食べてはいけない。」と言う人もいます。

 


難しいのは後者とのつきあいですね。

 

 

 

私は動物愛護も、ベジタリアンも、ビーガンもいいと思います。

 

その人の選択なのだから、私も無理にその人たちに肉を食べるように言ったりしてはいけないし、今回のようにイノシシとの事故で、イノシシの立場に立って心を痛める人もいるのだから、そういったことをその人の前で話すべきではないと思います。

その人の考えと選択を尊重するために。

 

でも、「イノシシがかわいそう!あなたたちがケガをすればよかったのよ!」とか言う人や(←今回、私は誰にもそんなこと言われてませんよ!でも、ネット(イタリア語)ではけっこう見かけます。SNSにそういうコメント書く人。)「あなたも肉を食べてはいけない。」とか言う人は、私の考えや選択を尊重してくれていないわけで、だったら私もあなたを尊重できないわ…という結論になっちゃうわけです。(私的に)

 

 

 

 

私はイノシシとの事故で、イノシシもかわいそうだなと思いますが、私たちが、特にピピウが、ケガをしなくて本当によかったと先ず思います。

 

イノシシの健康とピピウの健康を天秤にかけたら、ピピウの健康の方が、私の中では断然上に来るのです。

 

 

そして、私は肉も魚も食べます。

普段、あまり考えずに食べていますが、確かに命をいただいていることを忘れてはいけないなと、こうしたことがある度に思います。

 

でも、食べます。ピピウにも食べさせます。

 

その私の選択も、私は間違っていないと思っています。

 

 

 

だから、やっぱり、お互いの尊重、お互いを認めることが大切になってくると思うんですよね。

 

 

 

 

最近は、新しい生徒さんと話をするときは、食べ物の話題は注意しないといけないようになってきました。

 

食べ物の話題が一番盛り上がりやすくて、いいんですけどね。

 

 

 

 

でも、いろんな意味で多様化する世界と社会。

 

その世界と社会が成り立つには、やっぱりお互いの尊重が大切だと思います。

 

 

 

 

昨日のブログで、もし、不快に思われた方がいらっしゃったら、すみませんでした。

 

私たち家族は無事です。

私たちの車とぶつかったイノシシも、あまり大きなケガをしていないことを祈りますお願い

 

 




 

 

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