男でも女でもなく“私” | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

今日は国際女性デーですね。

日本は日付が変わってしまいましたが…。

 

今朝、買い物に行ったら、女性は10%OFFでした。

果物と野菜をいっぱい買いましたよ。

 

 

 

 

イタリアに来た19年前。

 

私は国際女性デーが何なのか知りませんでした。

 

ミモザも見たことがありませんでした。

 

でも、今は日本でもだいぶ定着してきているようですね。

 

 

 

 

国際女性デーの今日、幼稚園のストライキの予告が先週から出てまして、「今日は幼稚園あるかなぁ…」とびくびくしながらピピウを幼稚園に送って行ったのですが…

 

ちゃんと幼稚園、開いていました。

 

ピピウの担任の先生、いました。

 

 

 

国際女性デーに息子の通う幼稚園がストライキかどうかでビクつく。

 

これってどうなの?

 

と思ったんですよね。

 

 

 

 

大抵の家庭の場合、ストライキで幼稚園が閉まっていて、子供が幼稚園に行けなかったとしたら、シッターを雇うか、おじいちゃんおばあちゃんに見てもらうか、それが無理なら両親のどちらかが有休を取るか…

 

 

でも、両親のうち、どちらが有休を取ることになる?

 

 

ほとんどの場合、母親でしょう。

 

 

 

 

 

 

イタリアでは日本ほどではないかもしれませんが、社会的にはまだまだ男性の方が強いと私は思います。

たぶん、アメリカとかに比べたらかなり女性の地位は低いような気がします。

 

 

イタリアで仕事をバリバリこなしている女性は出世するうえでそれを感じるでしょうし、子供がいる女性は子育てがキャリアの妨げになることだってあるでしょう。

 

 

テレビをつければセクシーな若い女性が踊っていたり…

女性は美しくあるべきという価値観はもしかすると日本よりもここイタリアの方が強いかもしれません。

 

 

ま、それはおそらくイタリア以外の国にもある問題だとは思いますが。

 

 

 

じゃ、全くの男女平等になれば世界はうまくいくのかというと、個人的にはそれもどうかな?と思ったりもします。

 

 

そもそも、男性と女性は全く別物。

 

性別関係なく、人はそれぞれできることとできないことがあり、昔からできる人ができることをして、役割を分担して、社会が成り立ってきたと思うのです。

 

 

 

ただ、現在、その役割分担を性別でもって分けるといろいろ問題なわけですよね。

 

家事は女性の仕事?

 

子育ては女性の役目?

 

昔からそれらの役目は女性が担ったほうが効率がよかったからそうなってきたのでしょうが、ライフスタイルも大きく変わってきた現代、その役割分担のバランスは崩れつつあるように思います。

 

 

 

昔からの固定観念は崩れつつあり、実は男性もできた女性の役割とか、実は女性もできた男性の役割というのは意外と多く、それが多くの国で“普通”になりつつあると思います。

 

 

 

 

ただ、“妊娠・出産”に関してはどうしても分担することができません。

 

これだけはどうしても女性の役割になります。

 

その役割は“与えてもらった”と光栄に思うとともに、“与えられてしまった”と残念に思うこともあるでしょう。

 

 

自分とはまた別の命を、10か月にわたって自分の体内にあずかるのです。

それはとても大きな責任です。

 

その間、女性は日常生活において、多くの制限を強いられます。

 

 

でも、妊娠・出産はもちろん素晴らしいことです。

 

 

妊娠・出産は女性の特権であると同時に制約であるとも思います。

 

 

 

だから…

 

 

難しいよね真顔

 

 

 

 

 

 

 

 

これから先も、それは永遠のテーマだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

で。話をイタリアに戻します。

 

 

イタリアでは去年、史上初の女性首相が誕生しました。

 

 

ジョルジャ・メローニ氏。

 

 

私の住むイタリアで、初の女性の首相!

 

これでイタリアでの女性の地位が向上するのでは!?

 

嬉しい!

 

 

と喜んでいるかと言うと…


個人的にはそうでもありません。

 

むしろ、心配。

 

 

 

一国の首相に女性がなるのは全くもって問題ありません。

 

史上初の女性首相が誕生したのには、それだけ国民が“変化”を望んでいることのあらわれであると思います。

 

でも、女性が首相になったらその国がよくなるかというのはまた別問題

 

正直、国がよくなるのであれば、男性でも女性でもどちらでもいいと思います。

 

その人の実力次第。

 

 

 

 

正直、以前からこのメローニ氏は個人的にはけっこう好きな女性政治家でした。

 

あくまでも私的見解ですが、存在感、カリスマ性みたいなものが彼女にはあるような気がします。

話し方も説得力がある(こともある)。

 

政治の表舞台に立つ一人の“女性”として、私は好感が持てると思っていました。

 

 

が!

 

 

彼女が掲げる政治理論には


全く賛同できません真顔

 

 

特に外国人としてイタリアに住む身なもので、極右の彼女が首相というのは洒落になりません。

 

 

彼女の政府が誕生する前に、滞在許可証の更新が済んでよかった滝汗

とりあえず、10年は安泰アセアセ

 

…とホッとしてしまうくらい。

 

 

 

野党であるうちはよかったのですが、政権を取るとなると話は別。

 

 

ま、そもそも私はこの国で選挙権がないので、とやかく言うのはお門違いなのですが。

 

 

だから、女性だからよいとか、女性だから先進的というのはまた間違っているようにも思うのです。

 

 

 

で。今日は何が言いたいかと言いますと…

 

 

男女平等はやっぱり難しいねって話です真顔

 

まとめはめっちゃ簡単。

 

 

 

 

 

 

私は子供の時から男に生まれたかったと思ってきました。

 

なんだか、そっちのほうがいろいろなことができるような気がしたからです。

 

でも、男に生まれてても何もしなかったかもしれない。笑

 

私は私だから。

 

 

 

だから、今は、男とか女とか関係なく“私”にできることをしたいなと思うのでした。

 

 

 

 

まとまりのない長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございましたアセアセ

 

 

 

 

 

 

 


インスタしてます。
記事の下のブログ紹介のところにあるインスタマークを押していただくと、私のインスタが見られますので、興味ある方はぜひ!

今日もKUROと町の写真を応援クリックお願いします

↓ ↓ ↓ ↓


にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村