のんのんちゃん | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

日本滞在中、ピピウが気に入った物の一つが…

 

 

 

 

 

 

仏壇お願いです。

 

 

 

 

 

 

 

私の実家には仏壇があります。

 

我が家は宗教に熱心な家ではありませんが、仏壇と墓は大切にしてきていると思います。

やっぱり田舎だからなか?

 

仏壇には私の祖父母たちの位牌が祀られています。

私としては宗教的な意味より、ご先祖様、大好きな祖父母が祀ってある場所を大切にしている…という感覚です。

 

 

小さい頃から誰かにお土産をいただいたり、大切なものを受け取ったりした場合にはまず仏壇にお供えるように言われました。

通知簿とかも供えて(?)たなぁ…。

 

 

よって、仏壇に行けばなにかしらお菓子や果物があったので、お腹がすくと私と兄はよく仏壇を見に行ったものです。笑

 

 

すると、よく母に「ちゃんとのんのんさんにくださいって言った?」と聞かれるので、

「うん、言った。“食べていいよ”って言ってた」と答えていました。

 

 

勝手だよね。笑

 

“のんのんさん”は“ほとけさま”の幼児語らしいです。地域によって呼び方は変わるようですが…。

 

 

 

それから月日は流れ…

 

 

 

今回の日本滞在で、ピピウは日本のばぁばがお水や炊き立てのご飯を和室に持って行き、きれいに飾られた大きな箱みたいな場所に置いて、チンチーンと何か鳴らして、手を合わせている姿を見て、不思議に思ったのでしょう。

 

 

「これは何?」と母に聞いていました。

 

母はピピウに「これは“のんのんちゃん”。」と答えていました。

 

なぜか、“のんのんさん”が“のんのんちゃん”と更にかわいくなっています。

 

 

更に「ここにマンマのおじいちゃんやおばあちゃんがいるんだよ。」と私が仏壇の説明を付け加えましたが…

 

まぁ、理解していないと思います。

 

それで当然。

 

 

 

 

 

でも、これは血なのか、それとも子供の本能なのか…

 

“のんのんちゃんには美味しいものがたくさん置いてある”ということは理解したピピウ真顔

 

 

お腹がすくと…

 

「あのさぁ…のんのんちゃんにある柿…食べよっか?ハート

 

とか

 

「のんのんちゃんにあるお菓子…食べてもいい?キラキラ

 

と聞いてくるようにタラー

 

 

 

 

すると、母が昔のように

 

「のんのんちゃんに“ください”って言って持ってきな。」

 

と言い、食べ物を持ってきたピピウに

 

「のんのんちゃん、何て言ってた?」

 

と聞いていました。

 

 

ピピウは

 

「食べてもいいよって言った。」

 

と答えていました。

 

 

 

何これ?

 

教えられなくてもそうなるわけ?滝汗

 

 

 

 

 

 

よって、美味しい物をくれるのんのんちゃんが大好きになったピピウ。

 

 

母がしているのを見て、食べ物をもらわないときでも、仏壇の前でチンチーンと鐘を鳴らし、手を合わせ、お辞儀をするようにもなりました。

 

母が線香をたてているのを見て、ピピウも立てたいというので、線香もたてさせてやりました。

 

その後で、線香をつけるために使ったろうそくの火を消すのですが、ピピウが誕生日ケーキのろうそくのように吹き消そうとするので、

 

「これは、フーって吹いて消したらダメなんだよ。手で消すの。」

 

と言うと、

 

「あ、そっか!

一休さんでもおしょうさまが言ってたね。

 

と手をパタパタさせてろうそくの火を消そうとしていました。

 

 

イタリアの家でもときどき読む絵本「一休さん」。

 

 

 

 

 

まさか、ここにきて役に立つとは!

 

絵本の中に、一休さんがろうそくの火を吹き消そうとして、おしょうさまに「人の息はけがれているから、吹き消してはならぬ!」と叱られるというシーンがあるのです。

 

そう!それそれ!と、思わず大声で言ってしまいました。笑

 

 

 

 

 

そして、ついにピピウが…

 

「マンマ、イタリアのお家にものんのんちゃんが欲しい。」

 

(この場合、のんのんちゃん→仏壇です。)

 

 

と言い出しました。

 

 

 

 

 

え?

 

仏壇?

 

住んでるのイタリアなのに?

 

ダンナ、一応キリスト教徒なのに?

 

そして、私もそんな仏教のことを知っているわけでもなければ、そんなに信仰もないのに?

 

そもそも、このでかい仏壇、イタリアの家のどこに置くのよ?

 

そして、何より…

 

お供え物をいただくために仏壇が欲しいって、理由が不純すぎるタラー

バチ当たるわ。

 

 

 

 

「仏壇は…無理だなぁ滝汗

 

「えー!ほーしーいー!」

 

 

 

 

まさか、5歳の息子に仏壇をねだられるとは…

 

想像もしていなかったのでしたタラー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後…

 

イタリアに戻ってきてから“のんのんちゃん”のことは少し忘れていたピピウですが、父が亡くなり、「じぃじものんのんちゃんになったんだよ。」とピピウに言うと、なんと…

 

ピピウの部屋にあるIKEAの本棚が観音開きなのですが、その本棚の一部をピピウが“これが僕ののんのんちゃん”と言って、買ってきた今が旬のオレンジをお供えしたり、知り合いからもらった飴をお供えしたりするのです。

そして、ちゃんと手を合わせて拝んでいるのです。

 

 

 

なんか…すごいなぁ…。

 

分かってないようで、何か分かっているのですね。

 

 

 

 

 

だから、我が家ではその本棚の一部を“のんのんちゃん”ということにしています。

 

 

日本滞在中に撮った父とピピウの写真も、現像してそこに飾る予定です。

 

 

そしてピピウは今、のんのんちゃんに置く仏具の鐘が欲しいんだそうですタラー

 

 

 

 

 

イタリアでは…入手困難だと思うわ…タラー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たち夫婦はピピウにカトリックの洗礼も受けさせていないし、幼稚園で宗教の授業も受けさせていません。

 

これまでにも書いてきた通り、宗教を信じるか、どの宗教を信仰するかは本人が決めるべきだという考えからです。

 

だからもちろん、日本の私の実家の仏教をピピウに教育し、仏教徒にさせたいわけでもありません。

 

 

 

 

ただ、今回も思ったのは、宗教と国と文化は本当に強く結びついているのだなと。

 

 

 

教えるつもりがなくても、イタリアにいればキリスト教、日本にいれば仏教や神道の習慣が日常生活に根付いているからです。

特に冠婚葬祭が絡むと影響大ですね。

 

 

 

 

去年は父の葬儀がったこともあって、ピピウに仏教色の濃い日本文化を見せることになってしまいましたが、大切なのはどちらも(どの)宗教も尊重し、それぞれに失礼のないように心がけることだと思います。

 

 

 

 

 

イタリアの我が家には十字架もありません。

 

だから、仏教の何かを家に置くつもりはありません。

 

でも、ピピウがのんのんちゃんと言いながら“日本の祖父のために”時々手を合わせるのは悪いことではないと、私は思います。

(ダンナもそれは賛成しています。)

 

 

 

 


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