どのレベルまで日本語を頑張るか。
まだ5歳なので決めるのは早いのですが、とりあえず、間近の目標と今の私の気持ちを書き残しておこうと思います。
本人にやる気さえあるのであれば、どこまでも頑張って欲しいし、頑張らせたいとは思います。
でも、実際には難しいでしょう。
ピピウを妊娠した時からのピピウの日本語力の目標はまず、
“日本の私の両親(ピピウの祖父母)と日本語で会話できること”
でした。
正直、この目標は現在、達成できたと思っています。
もちろん、まだ5歳なので、難しいことは分かりませんし、話せません。
先日書いたように、日本語を間違うこともあります。
それでも
“日本語で意思疎通が取れる”
“日本語で5歳児レベルの日常会話が成り立つ”
というレベルにはあると思います。
なので、ピピウを妊娠した当初、私が目標としていたレベルには達してくれたと思います。
で。
これから、どうするか…ですね。
補習校では平仮名の読み書きを練習しています。
今は特に自分の名前を平仮名で書くことに力を入れてくださっています。
読みはそこそこできるピピウ。
ただ書きのほうがなかなか難しいようです。
でも、そこにも一応進歩がありまして、夏まではなぞり書きができても、お手本の平仮名を見ながら、白い紙に平仮名を真似して書くことはできませんでした。
どうしたら、こうなる?
と、正直思ってしまうような、文字とは判別できない線の集まりになっていたわけです。
それが、最近は、とりあえず、自分の名前はなぞり書きでなくても、書けるようになってきました。
(上手に書けるという意味ではありません。なんとか文字として判別できるレベルになったという意味です。)
他の平仮名も、平仮名によってはなぞり書きでなくても書けるようになってきています。
でも、全部ではありません。
なので、ピピウなりの進歩は見られるものの…
来年4月から日本語補習校は小学部の1年生。
平仮名どころか、片仮名の読み書き、そして漢字まで入ってきます。
私は日本語講師として主にイタリア人に日本語を教えていますが、日本語のハードルの高さは文字の読み書きがかなり上げていると思います。
みんな平仮名はけっこう早く覚えるのですよ。
ところが、片仮名、漢字は多くの人にとってハードルがかなり高い。
ピピウも日本語補習校だけでなく、来年の9月からはイタリアでも小学校1年生。
本格的なイタリアの学校での勉強も始まります。
親によって考えは様々だとは思いますが、私個人としては、日本語よりもイタリアの学校の授業を重視すべきと思っています。
それは、ピピウはイタリアで育っていく予定ですし、少なくとも高校まではイタリアの学校に通わせる予定だからです。
大学はイタリアの大学へ行くかもしれないし、もしかしたら他の国の大学へ行くかもしれません。または大学へは行かない…ということだってありえます。
とにかく、どんな選択をするにしても、そこに“日本”がなければならないとは私は思っていません。
だから、日本の大学へ行ってほしいとか、日本で就職してほしいとか、私は全然希望としてはありません。
もちろん、本人がそれらを望むのであれば、できる限りの応援しますが。
母親が日本語に対してそんなにモチベーション低くて、大丈夫?とも自分でも思いますが、それが正直な私の気持ちでもあります。
では、なぜピピウに日本語を続けさせるのか。
日本語補習校に通わせるのか。
私の個人的な理由その1
1か国語でも多く話せた方がよいと思うから
日本語が将来役に立つかどうかは別として、1か国語でも多く話せるに越したことはないと思います。
また、生まれたときからイタリア語と日本語を同時に学んできたことによって、更に他の言語を習う際に柔軟に新しい言語を吸収できるのでは?という期待があるからです。
私の個人的な理由その2
同じ境遇の友達も作ってほしいから
ピピウは日伊ハーフです。どこからどう見ても100%イタリア人ではありません。
むしろ、私のアジア人の血のほうが見た目は濃いです。
でも、100%日本人にも見えません。
イタリアでは「日本人」と言われ、日本では「イタリア人」と言われる。
ハーフの人あるあるだと思われます。
どちらでもあって、どちらでもないという不思議な立場。
それは、我が子のことでも、日本人として日本で生まれ育ち、今は100%外国人としてイタリアに住む私には理解できないことだと思います。
なので、補習校では日本語学習だけでなく、日本にもルーツを持ちながら、イタリアで育っていくお友達を作ってほしいなと思うのです。
きっと、彼らにしか分からない気持ちというのが、これから芽生えてくることもあるでしょうから。
私の個人的な理由その3
私と日本語で話してほしいから
もしかすると、私にとってはこれが一番大きな理由かもしれません。
私は日本人です。私の母語は日本語です。
イタリア語でも意思疎通が取れ、イタリア日常生活に問題ないイタリア語レベルではありますが…
"私の言語ではない"と18年経った今でも感じています。
私にとってイタリア語は"外国語"です。
そんなレベルでも日本語を話さないイタリア人ダンナと15年も国際結婚を継続しているわけですから、言語が全てではないということは既に実証済みです。
私にとっては"外国語"でのやりとりでも、家族としてやっていけます。
でももし、ピピウに喜びや、悲しみを日本語で伝えて、それをピピウが理解してくれるとしたら…
芸術や自然の美しさや感動を日本語で表現して、それをピピウと共感、共有できたら…
本当に嬉しいと思うんですよね。
私がですけど
子供が母親の母語で会話し、お互いの感情を深いレベルで理解できることって、子供にとってどれだけ重要なのかは分かりませんが、私はそれがピピウと出来たら正直かなり嬉しいです。
ま、感情表現に関しては言語云々の前に、感情表現が言葉でも態度でも豊かかどうかという性格上の問題もありますが…。
よって…
私の場合は、半分くらいは私のためにピピウに日本語を勉強させてるようなものです。
なので、本人が「どうしても嫌だ」と言うならば、やめればいいと思います。
とりあえず、今から補習校小学部1,2年生の間に
私が望むピピウの日本語学習の目標は…
学年相応の日本語が読め、理解できるようになること
もう今から断言しておきますが、日本語の書きができることはピピウには望みません。
読み書きともにできることがもちろん理想ですが、ピピウへの負担が大きくなるのであれば、必要ないと思います。
補習校では書きもしないといけないと思うので、それなりにはすることになるでしょうが…「平仮名さえかけたらいい」くらいの軽い気持ちでいたいと思います。
今の時代、漢字だって読めさえすれば、スマホとPCのキーボードでなんとか日本語で文章が書ける時代ですので。
正しい助詞の使い方の定着
これはきっと難しい…。
以前にもブログに書きましたが、家族や友達と話すとき、敬語を使わないときはよく助詞が省かれます。
これが、海外在住の子供達の日本語習得にはあまりよろしくないと思います。
実際、誰が 誰に あげる/もらう/くれる のかなど、助詞を省くと成り立たない文もピピウとの会話の中で増えてきています。
とりあえず、私がピピウとの会話で助詞を正しく使い、明確に発音することを心がけようと思います。
(助詞は弱く発音しがち。)
正直、ピピウにはレベルの高い目標だと思います。
でも、とりあえず、この二つを大まかな目標に頑張ってみます。
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