ピピウ、無事、5歳になりました。
子供が年を重ね、成長するのは
当たり前のことかもしれません。
でも、実はそれはとても幸運なことです。
ピピウは早産で26週
1000gで生まれ
7ヶ月間NICUにいました。
極低出生体重児で生まれたことにより
色々な器官が未発達の状態で生まれたため
生まれてすぐ、次々に問題が起こりました。
一番大きかった問題は
生後数週間後に発症した腸閉塞。
小腸の大部分を失い
短腸症候群になりました。
ピピウが生まれてからのNICUでの戦いは
"ピピウが生まれてから"のカテゴリーに書いてあるのでここでは書きません。
5年前
ピピウが生まれた日は悪夢でした。
どうして、こんなに早く生まれてしまったのか?
5年前
生まれてからNICUを退院するまでの7ヶ月
私はピピウの未来を見ることができませんでした。
1回目の腸の手術の後、小腸の大部分を失い、栄養を送るための点滴から離脱できないかもと言われました。
2回目の腸の手術の後、翌朝まで生きられるかどうか分からないと言われました。
命をとりとめたと思ったら、肝機能の問題、目の問題、そして腸の問題…
5年後の未来どころか、1年後、1ヶ月後…明日さえも、どうなっているのか、何が起こるのか、全く分からなかったのです。
NICUのドクターたちは
「命をとりとめた今、できるだけ普通の生活が送れるように全力を尽くす」
と言ってくれていました。
でも、当時は栄養点滴からの完全離脱は困難だろうとされていたので
「5、6歳になったころに小腸の延長手術をするという方法もある。」
という話をドクターから聞きました。
5年後も、生きていること、点滴から離脱できていないとしても成長できていることが目標でした。
そして、5年後の今。
点滴は2歳になる前に離脱。
現在経口食のみで育っています。
幼稚園に補助の先生なしで通っています。
他の子供たちと同じ様に園で1日過ごしています。
5年前、誰が今のピピウを想像できたでしょうか?
私はできませんでした。
ドクターたちはピピウのことを"奇跡"とは絶対に呼びません。
よく"プロトコール外"と言います。
医学は数学ではないから、時々良くも悪くも想定外の事が起こると。
だから、治療にあたってくださった多くのドクターたちの中でも、当時、誰が今のピピウを想像していたでしょうか?
「小腸の延長手術を…」と言われた5歳という年齢に達したピピウですが、現在のところ、点滴なしで成長できているため、消化器内科主治医が手術は現段階では必要ないとしているため、手術の話はありません。
本当によかった。
この5年間、最初は
この苦しみに終わりはあるの?
あるとしたらどんな終わり?
ピピウを失くすということ?
と繰り返し自分に問いかけました。
もちろん、答えはありませんでした。
でも、今は答えがあります。
5年前の私へ
終わりはあるよ。
思っているよりずっと早く。
ピピウを失くすことはないよ。
5年後、いっぱいしゃべって、いっぱい私を笑わせて、困らせて…そばにいてくれるよ。
だから、ピピウを信じて。
残念ながら今でも
ロープの上を命綱無しで歩いているような状況で、またいつ腸閉塞、腸捻転を起こすかも分からず…
ちょっとした腸の調子の変化にもビクビクしています。
ただ、ありがたいのは、糸の上を歩いていたのが、ロープになり、そのロープも年を重ねるごとに、太く、強くなってきていることです。
今やっと、ピピウの未来が見えるような気がします。
5歳の誕生日、おめでとう。
生きて産まれてくれて、ありがとう。
生きてくれて、ありがとう。
育ってくれて、ありがとう。
大きくなったね。
母はそれだけで幸せです。
ありがとう。
インスタしてます。
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