助手席に座るか、後部座席に座るか | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

日本滞在中はいとこにお古のチャイルドシートを調達してもらい、よく私とダンナ、ピピウの3人で車で出かけていました。

 

地元が田舎なもので、車がないと移動が不便なのです。

 

 

 

 

私は日本の免許を持っていますし、ダンナは今回の日本滞在のために国際免許を取りました。

 

なのでダンナもけっこう運転しましたよ。

 

 

 

 

去年から私もフィレンツェで車の運転を本格的に始めたので、日本での運転もけっこう簡単でした。

 

とりあえずイタリアと日本は左右反対の運転になるので

 

「左、左、左…」

 

と自分に言い聞かせながら…。

 

ただ、やっぱり、ワイパーとウインカーを間違えましたけどね。

 

ワイパーとウインカーの位置も左ハンドルの車と右ハンドルの車とでは逆になるのです。

 

日本で、思いっきり晴れている日にウインカーが動くという…。

 

 

 

 

で。

 

 

 

実家から車で10分ほどのところに住んでいるオジとオバのところへ親子三人車で行った時のこと。

 

いとこもいて、お別れするときはみんな車のところまで見送ってくれました。

 

まず、ピピウを後部座席のチャイルドシートに乗せ、ダンナが運転席へ、私は助手席へ座りました。

 

すると、いとこが、

 

「シェコ、助手席に座るんや…。日本だとだいたい子供の隣、後部座席に座る人が多いけどね。」

 

と。

 

 

 

 

これ、イタリアがそうなのか、たまたま私たちがそうなのか定かではないんですが…

 

 

私たちが親子三人で車で出かける場合はダンナが運転、私は助手席に座り、ピピウは後部座席のチャイルドシートに座ります。

 

私がピピウの隣に座ったことがあるのは、今までに2回だけ。

 

1度はピピウにまだカテーテルがあったころ。

カテーテルが体内で破裂したようで頬から首にかけてパンパンになり、車で救急へ連れていく際、私はピピウの隣、後部座席に座りました。

 

後はアレッツォ県の親戚の家に行くのに、山道を走っていたらピピウが泣き出し、なかなか泣き止まなかったとき。

「吐くんじゃないか?」というくらい泣いていたので、途中で車を止め、私が後部座席、ピピウの隣に座りました。

 

 


私たち、たぶんよく出かけるほうで、おそらくピピウも車移動にはもう慣れている…と思います。

 

基本的に車に乗っていると大人しいです。

 

あまり車の中でも寝ないんですが、外の景色を見たり、お菓子を食べたり、車内では大人しくしています。

 


なので私は助手席に座るんですが…

日本で後部座席に子供と座るお母さんが多いのは、事故をしたときのことを考えてなのでしょうか?

確かに車内からすぐに逃げないといけないようなケースのときは子供の隣に座っていたほうが安心かもしれませんね…。


あと、子供が成長して自分でチャイルドシートのベルトを外すなんてことがあったら…私も後部座席に座るかなぁ…。

 


ちなみに、現在ピピウの隣に私は座りませんが、子供用品店で購入した後部座席を見るためのミラーを使って、振り向かなくでも助手席からピピウを確認できるようにはしています。

 

 

それと、私とピピウの二人で乗ることが多い私の日産マーチもピピウのチャイルドシートは助手席の後ろ、後部座席に設置しています。

安全性の問題で、後部座席の方が良いと聞いたので。


 

 

他の小さなお子さんをお持ちのお宅はイタリアでもどうなんでしょうね?

 

ときどき家族ぐるみで遊ぶNICU友達のTくんのところ(両親ともにイタリア人)は、うちと同じでお母さん助手席、Tくん一人で後部座席だったな…。

 

やっぱりそのパターンがイタリアでは多いような…。

 

 

 

ま、どうでもいいと言えばどうでもいいことなんですけどね。



いとこに言われて「そっか…。」と思ったことでした。

 

 

 

 

 

 

 

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今日のオススメ。




買いましたよ、ピピウに。

気に入って、「アンパンマン!アンパンマン!」と言っています。

あ、イタリアにいるときは「あんぱん!」とパンの名前しか言えなかったピピウですが、日本で「アンパンマン!」とちゃんとヒーローの名前を言えるようになりました。