別れ | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

今日は少しショックなことがありました。

ピピウがNICUにいた時、お世話になった看護師さんが病院を変わられるという知らせが届いたのです。




遠方から通勤されていたS看護師さん。

小さなお子さんがいらっしゃるからだとも思うのですが、彼女の住む町の病院に行かれるようです。

彼女のキャリアであれば、どこの病院でも大歓迎されることでしょう。





Sさんとはたくさんの思い出があります。

ピピウが一命を取り留めた後、初めて哺乳瓶を使って数滴のミルクを飲ませてくれたのは彼女でした。

未熟で生まれたピピウにとって、ミルクを口から自力で飲むことは、当たり前の事ではありませんでした。
それまでは細いチューブを胃まで通し、ミルクを流し込んでいたのです。

Sさんがピピウの担当だった日。
試しに細い針無しの注射器でミルクを口に含ませてみたところ、ピピウが上手に飲んだので、哺乳瓶で飲ませてみるよう勧めてくれたのでした。

美味しそうに、あっという間にミルクを飲み干したピピウ。
あの時の感動は今でもはっきり覚えています。





まだピピウに人工肛門(ストマ)があった時。
ピピウのストマを洗ったり、袋を交換したりも、看護師さんたちに教えてもらって私とダンナがやっていたのですが、やっぱりストマ(腸)に触るのが怖いワケです。

痛いんだろうか?
手で触って大丈夫なんだろうか?

と考えてしまい、ビクビクしながら処置していました。

そんな私を見たSさんが、
ストマは無菌状態で処置する必要は無し、怖がらなくても大丈夫。
ほら、こうして水をかけて洗ったらいいのよ。
これ、"おしり"だと思いなさい。」
と言ってくれたんです。

それから、"これはピピウのおしり"と思えるようになり、大胆に、しっかり洗えるようになりましたし、苦手意識もだいぶ薄れました。





そして、 忘れられないのは…

ピピウの高カロリー栄養点滴が、一日2時間ストップになった時のこと。

点滴に繋がれていないピピウを見るだけで幸せでした。ピピウが生まれて以来、何かに繋がれていないピピウを見るのが初めてでしたから。

すると、Sさんが、
「ここで何してるの?」
と。

なんと、ドクターと話してくれて、点滴が外れている時間、院内であればNICUを出てもいいという許可を取ってくれたのです。

まさか、退院前にピピウとNICUを出られるなんて!

ピピウが乗ったベビーカーを初めて押す喜び…
誰に想像できるでしょうか!

それからは"退院してないのにNICUを出られる赤ちゃん"とちょっと有名になったものです。



これらはSさんとの思い出のほんの一部。


Sさんがピピウにしてくれたこと、私たちにしてくれたことに今でも心から感謝しています。




…そうイタリア語でS さんにメッセージを送りました。

NICUにいたころのピピウの写真を添えて。


S さんの返信には、
「本当にありがとう。
あなたたちが
"子供を思う両親の本物の愛"
がなんであるかを私に教えてくれたのよ。」
とありました。

Sさんの返信を読んでいて、涙が出てきました。



辛かった日々もSさんみたいなスタッフがいてくれたから乗り越えられたんだと心底思います。


Sさんとは連絡先を交換しているので、今度は病院の外で、Sさんの家族も一緒に会おうと約束しました。





これから定期外来の時にNICUへ挨拶に行ってもSさんがもういないのは淋しいけれど…。
素晴らしい人との出会い。
これからも大切に繋げていきたいと思います。