先日の記事について | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

先日、こんな記事を書きました。

その記事で、いくつかのコメントをいただきました。

ありがとうございます。

 

そのコメントの一部をご紹介させていただきたいと思います。

 

 

>あと自分のライフスタイルに合っている、時給が良い等の理由で土日祝日や深夜勤務の仕事をあえて選んでいる人も少なくはないと思います。
私も時給がいいので大学時代アルバイトは土日祝日にいれていました。
世間が休みの時こそ稼ぎ時の商売もたくさんありますから。
その仕事にやりがいやプライドを持っている人もいるので、一概に犠牲とは言えないと思いますよ。(rain-cookさん)

 

>勤務形態は、選べる。
深夜、早朝、休日のほうが
時給は高い。
無理やりその時間に働かされている
のではなく、本人が選んで働いているはず。
だから、犠牲と言うのは
違うかなと思います。 (はなくろさん)

 

 

このコメントを拝見して、

 

私も本当にそう思う!

 

と思ったと同時に、先日の記事、あまりにも言葉足らずだったなと後悔。

 

なので、追記ではありませんが、私の思うところを書こうと思います。

 

 

 

 

 

私はイタリアへ来たばかりの頃、フィレンツェのホテルで働いていました。

イタリアで得た初めての仕事でした。

 

フィレンツェは有名な観光都市ですので、ホテルも沢山あり、ホテルはイタリアといえどももちろん365日営業しています。

 

なので、シフトによっては私も日曜日働くこともありましたし、祝日だって働くことがありました。

日曜日や祝日に出勤することは、私は悪いことだと思いません。イタリアでも日曜日や祝日に出勤すると手当がつくので、むしろお給料が増えてうれしいくらいでした。

 

そう、コメントをいただいた方々の意見と同じなのです。

 

そうした考えは今でも変わっていません。

 

確かにカレンダー通りの休みが取れる仕事というのが理想ではありますが、だからと言って日曜日や祝日に働くことに抵抗があったわけではないんです。

 

 

ところが…

 

 

そんな日曜日も祝日も働く私に、周囲の多くのイタリア人が

 

「かわいそう…。」

 

と、言ったのです。

 

 

多くのイタリア人にすると、みんなが家にいる休日に働かないといけない私は“かわいそう”と言うんですね。家族や友達と一緒にいられないじゃないかと。

 

私は日祝日に働くことが「かわいそうな事」だとは思っていなかったので、そう言われることは衝撃的でしたし、ちょっとショックでした。「え?私ってかわいそうなの?」と。

ある時期から「いやいいや、休日働くことはかわいそうなことじゃない。仕事があってラッキー!人より多く稼げてラッキー!」と我にかえりましたけどね…。

 

 

 

 

私や多くの日本人にとっては休日働くことは何かを犠牲にしているわけではなくても、イタリア人にとっては、“自由な時間や家族との時間を犠牲にしている”と受け取られるのだと思います。

 

それとは反対に、イタリア人にとっては(日本人からすると)不便な生活が当たり前で、日本のようなサービスが受けられないとが犠牲だと考えていなくても、日本人の少なくとも私の感覚からすると、イタリア人は“便利で機能的な生活を犠牲にしている”と受け取れるのです。(完全な主観ですけど。)

 

 

ですので、日本で休日や祝日に働いていらっしゃる方々が「休日を犠牲にして働いている」と思いながら働いていらっしゃるとは思っていませんし、日本人が休日や祝日に働く人を見て「あの人は休日を犠牲にして働いている」「かわいそう」と思わないことも知っています。私もそうですから。

イタリア人的価値観からすると、休日に働くことは犠牲だ(と考える人が多くいる)ということが言いたかったんです。すみません。

 

そういった意味を踏まえ、国民規模でみんながイタリア人のように休日や祝日はしっかり休んで、まとまったバカンスも毎年取って、さらに日本で生活するようなサービスが受けられる…ってのは不可能に近いよね…ってことが言いたかったんです汗そういった意味で、イタリアも日本も何かしら犠牲にしているのかなと。

 

 

 

 

 

でも、先日の記事を書いて、コメントをいただいて、そうだなと気づいたのは、自分が「当たり前」だと思っていることは、他の人にとっては辛いことでも、辛くないんだなということです。

日本→日曜日に働くこと辛くない

イタリア→不便な生活辛くない

 

 

だから、幸せとか不幸とかって気持ちの持ちようだと言いますが、本当にそうなのかもしれませんね。

その人が幸せか、不幸かなんて、その人になってみて、その人の価値で判断しないと他人には分からないのですから。

 

 

と、長々と書いてしまいましたが、文化の違いや社会的背景の違いで、“犠牲”と呼ぶべき物や事が変わってくるのだな~という話でした。

それはきっと一人一人の個人レベルでも同じことだと思います。

 

 

あ、それからついでに…

 

特に深い意味はなく、昨日のブログで、コメントにお返事できなくなってきているのでコメント欄を閉めるかもと書いたのですが、「開けておいてくれ」といったお言葉をいくつかいただきましたので、開けておこうと思います。

 

 

私のつぶやきをいつも読んでくださり、こんな私の書いたものに対して真剣にコメントくださり、本当にありがたく思っています。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

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