イタリアあるある ~日本人の心遣いが分からない~ | 憧れの(?)Italia Firenze生活

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イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪



デートでお店は相手に選んでほしい? ブログネタ:デートでお店は相手に選んでほしい? 参加中


ま、私とダンナの場合は今更デートでもないんですが…


外食するときには基本的に私が決めることが多いような気がします。



決定は私が下さなくても、


ここか、ここか、ここは?


と選択肢を出すとか。





でも、それは今の話。




ダンナと付き合った当初、


「どこにご飯食べに行きたい?」


って聞かれたら、


「どこでもいいよ。」


と答えていました。





ダンナと付き合い始めたころは、フィレンツェ、イタリアのどこに行っても


全てが新鮮で、楽しかったですからね。


心の底から「どこでもいいよ。」と言えました。




それが、フィレンツェ生活も徐々に長くなり、


ダンナといる時間も長くなり、


外食先も、何件かのお店のローテーションになってくるわけです。




そういう時期に突入したときでも、


ダンナに


「どこに食べに行きたい?」


って言われたら、


「どこでもいいよ。」


と答えてました。



それは心底「どこでもいい」と思っていたわけではなく、


私の意見よりもダンナの意見を優先したかったらから、


「どこでもいいよ。」


と、遠慮して言ってたんですね。




でも、多くのイタリア人にとっては、


“言葉が全て”。




「どこでもいいよ。」って言ったら、本当に「どこでもいいんだ。」って思うんですよ。








だからある日、気がついた…




本音でしゃべらないとダメだ。




ま、その結論に行き着くまでにダンナとよく喧嘩もしましたけどね。


「どうして、私の気持ちが分からないの?」


「思ってることを言ってくれないと分からない!」


ってね。





だから、今はダンナと二人行動のときはけっこう自分のしたいことを正直に言います。


まー、よく却下もされますけどねむかっ




でも、私が「どっちでもいい」とか、「なんでもいい」って言ったときは、


「本当に?正直に言って。」


と、最近は聞きなおしてきます。



おぉ!

進化した、私のダンナ!えーっ!!








日本人の心遣いって素敵ですよね。


私は大、大、大、大、大好きです!




でも、残念ながら、日本人の心遣いは


イタリアでは(おそらく他のヨーロッパの国でも)なかなか理解されません。





本当に、言わなきゃ損!


な、状況にが多いです。






私のイタリア生活での心得


1.自分が「どっちでもいい」と言ったら、相手(イタリア人)が何を選ぼうが文句を言わない。

  「どっちでもいい」と言った自分に責任あり。


2.遠慮ばかりしているとずっと損をするので、遠慮せずに言うときは言う。



3.イタリア人に言葉の裏にある本当の意味をくみとって欲しい

  なんてハイレベルの期待は絶対にしない。

  そーゆー文化ですからね。しょーがない。






今日も、異文化のこの国でがんばります!







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