ダンナの実家の犬。
名前はペギー。
メス。
雑種。
私がペギーに会ったのは2004年の夏でした。
当時、実家暮らしだったダンナに実家に招待されて出会いました。
私よりイタリア語を理解してたペギー。
ペギーをうらやましく思ったものです。
子どものころから、私は金魚と小鳥以外の動物を飼ったことがなくて、
どうしてペギーに接していいかわからず、
最初は犬が家の中にいるのがいやだったし、
ペギーにペロペロ舐められるのも嫌でした。
でも、ペギーはそんなことはお構いなしに、
時々しか顔を出さない私をちゃんと覚え、
ダンナの実家のドアを開けると、
タッタッタッタッ…とペギーの近寄る足音が聞こえ、
いつも一番に私を迎えてくれました。
当時、イタリア語が不自由だった私。
ダンナの両親と会話が続かず、気まずい雰囲気になったとき、
「なでて」「あそんで」と私のところに寄って来たペギー。
ペギーは私に助け舟を出してくれてたんだと思います。
そのうち、ペギーが家の中にいるのも、ペギーに舐められるのも慣れました。
どうなでればペギーが喜ぶのかも分かるようになりました。
怖いとも思わないし、汚いとも思わなくなりました。
それからです。他の犬もかわいいなと思えるようになったのは。
犬への接し方が分かるようになってきたのは。
「ペットは家族の一員だ」なんて信用していなかったけれど、
なんとなくわかるようになりました。
2006年。
まだ結婚する前の年。
ダンナとバイクで事故に合い、
私は打撲、ダンナはひざの骨を折り入院。
当時は結婚はもちろん婚約だってまだしていなかったのに、
ダンナの両親は「息子が歩けるようになって、またシェコと同棲ができるようになるまでは…」と、
私をお家に招待、そして看病してくれたんです。
事故の当日の夜、ダンナはそのまま入院、私はダンナの実家に行って、用意されたベッドで寝てました。
すると、ペギーがやってきて、一晩中私の側にいるのです。
別にそこはいつもペギーが寝ている場所ではありませんでした。
結局、ペギーは私の打撲が治るまで、毎晩私の側で寝ていました。
ダンナの両親は「ペギーは今、誰が一番つらいか分かるんだよ。」と言っていました。
私は「まさか」と思ったものの…
ダンナが退院してからは、歩けないダンナの側にずっといるのを見て、
「あぁ、本当に分かるんだな。」と納得しました。
それ以来、もっとペギーを近くに感じて、
実家に行ってはよく遊んだし、いっぱいいっぱいなでたし、
シャンプーもよくしてやりました。
所詮、大変な世話をするのはダンナの両親なわけで、私はいいとこどりだったわけだけれど、
ペギーは私にとっても家族だったし、大切な大切な存在でした。
私の初めての犬でした。
でもお別れは突然やってきました。
日曜日の夜。
その日はたまたまダンナの妹夫婦と外で食事をしてて、
ちょうど食事が終わって、レストランの側の公園を散歩している時でした。
ダンナの携帯が鳴りました。
ダンナのマンマからです。
ペギーがひどく吐いていると。
この時間でも診察してくれる動物病院はどこかと。
私たち夫婦もダンナの妹夫婦もすぐに車で実家へと向かい、
夜も開いている動物病院に4人でペギーを連れて行きました。
意識はしっかりしているけれど、呼吸が荒い…。
日中は普通だったのに、どうしたことか。
動物病院に連れて行き検査。
熱もない。
レントゲンもエコーも特に異常は無し。
ただ、おなかにガスがたまっていると。
点滴をしてもらい、少し呼吸も落ち着いてきたようでした。
ペギーは翌々日、ダンナの両親と2ヶ月、サルデーニャ島へバカンスへ出かけることになっていました。
長旅に耐えられないかも。今回はフィレンツェに残して、私とダンナが世話をしようという話になりました。
でも獣医さんは、「特に異常は見られないから少し様子を見ましょう。明日の朝、また来て下さい。もっと詳しい検査をしましょう。それで状態も落ち着いて、問題がなければ、サルデーニャにも行けるでしょう。」と。
午前0時。
動物病院を出て、実家へとペギーを送って行きました。
しんどそうだったけど、呼吸は落ち着いてきてたし、なんだか元気になってきているようでした。
「早く元気になるんだよ。」「明日、また病院に行こうね。」とみんなでペギーに声をかけ、
いっぱいなでて、ダンナの実家を後にしました。
午前3時半。
ダンナの携帯がなりました。
どうやらマンマから。
ペギーがまた吐いて、動物病院に連れていかなくてはならないのかと思い、私も起きました。
ダンナが電話を切った後、
「またペギーが吐いたの?」
と聞くと、
「ペギーが亡くなったよ。」
耳を疑いました。
それから私もダンナも言葉はなく、
ただ、涙が出てきました。
胸が苦しくなりました。
ベッドに戻っても、私もダンナも眠ることなんてできませんでした。
昨日まで、あんなに元気だったのに。
普通に遊んでいたのに。
夜が明けて、ダンナはどうしても外せないアポがあり、仕事へ行きました。
ダンナも泣いていました。
私はダンナの妹が実家に着くのを待って、私も実家へ行きました。
冷たくなったペギーがいました。
ダンナの両親の話を聞くと、
夜中、突然また急に呼吸が荒くなり、
かと思うと…
荒かった呼吸は完全に止まってしまったそうです。
ほんの数分の出来事だったとか。
ダンナの両親に見守られて、そんな苦しんだ様子もなくペギーは逝ったそうです。
マンマは、
「最後の最後まで私たちがいたし、
あなたたち4人が動物病院に連れてってくれたから、
逝く数時間前までペギーは家族全員と一緒にいることができたね。
もしこれがサルデーニャに行ってからだったら…。
ペギーはあなたたちにお別れが言えなかったものね。
みんなに可愛がられて、ペギーは本当に幸せな犬だったよ。」
と。
それから、私とダンナの妹と、ダンナのパパとで動物病院にペギーの遺体を持って行きました。
最後のお別れです。
昨晩ペギーを診てくれた獣医さんの1人もいて、挨拶しに来てくれました。
誰かがこの世からいなくなることを、こんなに悲しいと思ったのは、
きっと中学生の時に祖父を亡くして以来だと思います。
犬の寿命は人よりも短い。
ペギーは12歳と7ヶ月の人生でした。
みんなが言うには、犬としては長くもなければ短くもない一生だということですが…。
もっと、もっとペギーと一緒にいたかった。
家族全員、目を腫らしていました。
みんなで泣きました。
小さいころ、親に犬が欲しい、猫が欲しいと言ったことがあります。
私の両親はダメだの一点張り。
理由を問うと「死んだ時にかわいそうだから。」という答えでした。
その答えが子どもながらに納得できましたが…
そのときは、こんなにも悲しいことだとは想像していませんでした。
今、知りました。
おそらく、まだペギーがいなくて寂しい日は続くだろうけど、
ペギーにありがとうってたくさん言いたい。
楽しい思い出をありがとう。
いつも助けてくれてありがとう。
絶対にペギーのこと忘れないからね。
みんなペギーのこと大好きだったよ。
どうか安らかに眠ってね。