家族旅行~HIROSHIMA 2~ | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

さてさて、宮島も広島焼きも返上して向かった原爆ドーム車


ありました。


TVや写真で見た回数は数知れず…


でも、実際に目にした原爆ドームは、私が想像していたよりも小さく、近代的で整った綺麗な街の中に、時間が止まったように建っていました。



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ダンナと二人で歩いた平和記念公園…。


鳥肌が立ちました。


なんだか胸がキュンとしました。



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TVで見慣れた風景。


それでも、実際にその場所に自分が立つと、感じるものが違います。


もう2度とこのような惨劇を繰り返さないという誓い、世界中の人々が望んでいる平和の祈りを感じます。


教科書で、日本国憲法前文や、非核三原則を読んだりするよりも、

この場所を訪れることのほうがずっと平和の尊さを感じます。


私もダンナも平和記念公園内では無口でした。





それから、入った広島平和記念資料館。


館内はフラッシュ無しでなら撮影しても良いと言われました。


そして、パンフレット、音声ガイダンスは17ヶ国語が用意してあり、イタリア語もありました。



タイヤ交換をしたスタンドのおねえさんが言っていた三輪車。ありました。

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本当に、本当に、何もかも破壊してしまった原子爆弾。

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白い壁に残った黒い雨の跡。

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8時15分。原子爆弾投下と同時に時を止めた時計。

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私たちが資料館に入った時、ダンナを除いて6人のイタリア人を見かけました。(団体観光客ではない)


イタリア人以外にも、外国人の方、多かったです。



「中に入るのが怖い。」


「特に興味ない。」


という意見を日本人から聞きますが…これは見ておくべき過去の事実だなと思いました。

どうして、私、29年も訪れなかったんだ????



胸を締め付けられる思いで、資料館の外に出ると、


そこには真夏の日差しと、美しい今の広島の風景が…



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たった65年。

もう65年。

時は動いています。


日本だけでなく、世界中で、もう2度と核兵器が使われませんように。




その後、宿は岡山県の湯原にとってあったので、私たちは広島を後にしました。


時間がなくて、広島のいいところを色々満喫したかったのですが…できませんでした。


でも、広島に行けて本当に本当によかったとダンナと一緒に言っています。



ご親切に、広島の観光スポットを教えてくださったserioさんには本当に感謝しています。

ありがとうございました。

いつか、また、ゆっくりと広島を訪れたいです。


23歳で日本を離れ、日本のこともよく知らない私。

まだまだ知らないことだらけだけれど、これでまた少しは分かったような気がします。



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