深夜のつぶやき。
ポリシーがあって、わたしは、
こどものことを、子供とは表記しない。
子どもと書いても、子供とは書かない。
こどもは、供(きょう)するものでもなければ、
供(そな)えるものでもない。
未来を託して、人間という種族を托する
一(はじめ)から了(おわり)までを
見届ける存在だから、と思ってる。
さっき、友人とチャットしてて、
すごく響いたことば。
子どもが3人にいると、
家族の中に社会ができる。
学校がない中で、
2人の姉妹は、一緒に遊ぶ中で、
すごく成長してる。
これが、3人になったら、
いわゆる、『中間管理職』的な立ち回りもできて
たしかに家族が社会化するなと感じたら
なんだかマルコ家の家族社会が楽しみになってきた。
こどもたちは、
自ら学んで成長する。
供するべき、供えるべきは、
大人たちの役割。
衣食住を整えて、
才能と感情を否定せず、
伸びる生き方を一緒に探す。
なかなか思うようにはいかんのやけど、
修行していくしかないな。