つづき
3.カクテル
一緒に住んでいる男と別れようかどうしようか考えながらコーヒーを飲み、そのへんに散らかっているラバーの切れ端や張り替えで使ったであろうスポンジをゴミ箱に投げつけていると電話が鳴った。
午前7時だった。
電話は同僚からで、今日は出社しなくてもよくなったという内容だった。
出社してもしなくてもどっちでもいいけど、少なくとも今私の頭の中はまだ仕事モードでなくて、どうしてもこうも卓人という生き物はいちいち散らかさないと気が済まないのかという疑問と怒りが頭の中を埋め尽くしていた。
勝手に上がりこんで私のベッドで寝ているこの男も周作もその点については同じだ。
たかだかゴムっぺらに1万円近く払うなんで馬鹿げているし、そんな二人の男とこうなっている私もどうかしている。
私もこの男達もある意味似たもの同士だ。
赤坂のオフィスは気に入っているし夜は久々に姉と飲む約束もしていたので、同僚の言葉を聞きつつも私は駅に向かった。
そもそも私はテレワークが性に合っていないのだ。
満員電車は死ぬほど嫌いだが。
社会的に意義があるのかないのかよく分からない仕事を済ませ、夜の赤坂駅の改札前で待っていると姉が来た。
「あれ、れいちゃんまた痩せた?」
姉のファッションは少しダサい。
ぱっと見で言いたいことは私の方が多いし、抗えない老化以上に年々外見への気に掛け方がおろそかになっていく姉を見るのは悲しくなる。
「お姉ちゃん久しぶり。痩せたというよりやつれてるのかも。」
姉の京子は短大からメーカーに就職して4年後に同期と結婚した。
3人の子供がいるのでこうして夜に飲みに行けるのはなかなか稀らしいが、結婚する前は当たり前のように一人でも飲みに行っていたし、おじさんキラーだったようでどこへ行っても1円も払わずに飲み明かしていたそうだった。
姉からそんな話を聞くたびに、私は姉と顔は似ていても中身は全く別の生き物なのだと再認識するのだった。
おじさんと一緒に飲むなんて奢られても絶対に嫌だし、私は自分が払ってでも可愛いボーイフレンドと朝を迎えたいタイプなのだ。
そういう意味では姉と私は対局にいると思う。
2件目は行きつけのバーに寄った。
女ふたりでカウンターにいても40も過ぎていれば声がかかることもなく静かに飲むことが出来る。
歳を取って髪質や肌のツヤも失った今では、これが加齢のメリットだと言い聞かせて自分を納得させている。
姉はモスコミュールを待っている間旦那にLINEで遅くなることを伝えていた。
マスターには面倒な旦那だと愚痴ってはいるが、こうして心配してくれる夫がいるのは幸せな事だ。
私のスマホは周作からも賢治からもそういったLINEが来ることはない。
「あなたはいいわよね。その歳になってもどうせ若いボーイフレンドと遊んでいるんでしょ?」
少し赤くなっている京子はいつもの話題に乗り出してきた。
姉は私のゴシップネタが昔から大好物だった。
「まぁね。ただ昔から遊ぶ相手の年代は変わらないわ。私が勝手に歳を取っているだけなのよ。」
「賢治くんとはどうなの?いい加減彼もいい歳なんだしそういう話はしないの?」
そう言われてはっとした自分がいた。
確かに賢治ももう三十過ぎだ。
賢治は一体どう考えているのだろう。
いつもラケットだかラバーだかの話ししかしてないので、二人の将来のことなんて私も考えたことが無かった。
「どうかしらね。私もあんまり考えてないし彼もそんな話しないから。」
「ふーん。でもいつかは決めないとなんじゃない?」
「いつかはね。」
グラスの氷が鼻に当たったので、バイオレットフィズを注文した。
「若い子といえば、今は仕事で知り合った20代の男の子と遊んでるわよ。」
「やっぱり!あんたって昔からそうよね!」
姉は嬉しそうだった。
「ところがこの子もまさかの卓人でね。しかも賢治と同じ地区で試合とか練習してるみたい。」
話している途中で余計な事を言ったと思った。
「嘘でしょ?じゃあ賢治くんとその子は知り合いなの?」
モスコミュールを飲み干した姉は吐く息に乗せて身を乗り出してきた。
「どうかしら。その子周作って言うんだけど、賢治の存在については話したけど、賢治が卓人ってことは伝えてないし、私も周作の前では卓球のことは一切知らないふりしてるから。それに周作は周作で彼女がいるみたいだから別にいいのよ。」
酔っていたのかつらつらと話してしまった。
今の状況について誰かに話したのは初めてだし、こうして言語化したのも初めてだった。
「はぁ、整理したいからちょっと待って。しかし世の中って狭いのね。」
姉は呆れたように呟いてスクリュードライバーを頼んでいた。
「ほんとにね。」
何が“ほんとにね”よ、我ながらなにやってんだかと思いつつも、私はどうしてか幸せな気分だった。
紫色に透ける手元のカクテルが、ヨーラのダイナライズに似ていた。
-つづく-

