「人工宗教」でニセ(疑似)科学はなくせるか | ほたるいかの書きつけ
2009-09-22 02:12:39

「人工宗教」でニセ(疑似)科学はなくせるか

テーマ:ニセ科学
ええと以前のエントリ「成果・効果・科学・思想(その1) 」「成果・効果・科学・思想(その2) 」の続き。主にコメント欄でのメカさんのコメントへの返事です。

 メカさんの主張をまとめると、

(1)カルトや疑似科学をなくすのは不可能だから、人工宗教を作り、強制的に信じさせることで、社会問題を引き起こすようなカルトから人々を引き離すことができる(「無害化されたカルト」への信仰の強制)

(2)ニセ科学において、科学的事実を偽っていることは本質ではなく、またそのことを指摘することは無意味

(3)宗教は民主主義に反するものである

となるでしょうか。膨大なコメントは、いずれも上の二点から演繹されるもののようですので、ここに絞って論じます。

 と言ってもまあ、私がモタモタしているうちに、zororiさんや黄金の口さんが論じてくださってしまったので、今更付け加えることもないのかもしれませんが、まあそれはそれとして。

 先に(2)の方から。
 「本質」の意味をどう捉えるかにもよるのですが、前半については同意するところ多、です。単に科学的に間違ったことを言うだけであればあれほど蔓延はしなかったでしょうし、また問題にもならなかったでしょう。一部の好事家のネタとなっていただけだと思います。
 問題は後者です。何度も言っているのですが、実際問題として、私の周囲では、そのことを指摘することは大いに意味があります。またコメントいただいた他の方々からも、そのような声をいただきました。もちろん定量的に検証したわけではありませんので、グゥの音も出ないほど完璧に示すことなどできないわけで、メカさんが「いやオレは信じない」と言うのであれば、それ以上何かを言うことはありません。ただ私としては実際に効果があることを見ているし、明らかに逆効果であったこともないので、これからもこの路線で行くでしょう。メカさんの主張になんらかの説得力があれば参考にすると思いますが、観念的に「間違っている」と言われても、ねえ。
 ですから、敢えてメカさんに好意的に言うなら、ここは理論が併存している状態であって、それぞれが検証する段階、ということになるでしょう。私のほうが間違っているかもしれません。もし間違っているとするなら、メカさんに徹底的に論破されるか、あるいは実践を積み重ねた結果、意味がないことを悟るかですが、現状では意味があるとしか思えませんので、メカさんがなにか私が忘れている重要なポイントを指摘するぐらいのことはしていただかないと、路線を変えることにはならないでしょう。


 次に(1)について。
 まあ色々言いたいことはあるのですが、そのあたりはきっとずっと昔から論考があるだろうし、コメント欄でも色々指摘していただいているし、詳細は私の能力を越えますので、簡単に少しだけ言うに留めます。

 まず第一。人工宗教が必要だと言うのであれば、「水伝」でいいじゃん、というのがメカさんのコメント読んで最初に思ったこと。水伝、理想的じゃないですか?それ自体は完全に無害ですよ。ホメオパシーは人を殺すが水伝は人を傷つけません。まあ「御飯に声かけ実験」でクラスメイトの名前を書いて、クラスメイトを傷つけるぐらいのことはあるかもしれませんが。しかも、既に蔓延しています。メカさんがやるべきことは、水伝を教育指導要領に記載させ、すべての教科で水伝に基づいた授業をヤレ、ということなんじゃないですかね?違います?

 第二。メカさんはこうコメントされています。
> その時に、無害な疑似カルトを用意しておいたからってそちらに行くとは限らないでしょう?

だから強制的に教育するのだ、といってるのだが。放っておくのが問題なんだよ。もちろん国家宗教の教育を受けた上で、それに上乗せする形でそれぞれの宗教に入信するのは認めざるを得ないけどね。
それぞれの宗教に入信するのを認めるのであれば、危険なカルトに行く可能性はいくらでもあるでしょう。現状に比べてそんなに変わるとは思えませんが(むしろ増えたっておかしくない)。江原啓之にしろ、たしか麻原彰晃もだったと思いますが、いろいろな宗教を渡り歩いた挙句、自分で宗教開いてカルト化するパターンって結構ありますよね(江原をカルトと呼ぶかどうかはともかく)。だから、認めるのであれば、有効性はないと言ってもいいでしょう。
 それから、当然、メカさんも私もその教育を受けることになるわけですよね。私は嫌です、そんな教育を受けるのは。メカさんはいいんですか?メカさんや、メカさんの子どもたちがそんな教育を受けることになって。

 第三。日本はほんの60数年前まで、国家宗教を国民に強制してましたよ。その結果はどうだったでしょう(国家神道は宗教ではなかった、とかいうのはナシですよ)。

 第四。水伝のようなニセ科学の問題は色々ありますが、他のニセ科学への耐性を低くしてしまうことも問題の一つとして挙げられるでしょう。水伝が入口になって、たとえばホメオパシーにはまったり。人工宗教だって、同じ機能を持つのではないかしらん。

 第五。第二の最後の文章と絡みますが、いつ誰がどの時点で誰を人工宗教の信者にすべきかを判断するのでしょうか。あるいは信者でなくてもよいと判断するのでしょうか。確認しておきますが、そんな社会になったら、メカさんも私も、間違いなく人工宗教を信じなければ危険人物扱いですよ。
 関連しますが、ある子どもが科学的思考に向かないかどうかは、いつ誰が判断するのでしょうか。おそらくは現場の教師がするしかないのだと思いますが。教育によって科学的思考ができるようになる子どもだって大勢いるでしょう。教育を放棄しておいて、向くだの向かないだの判断することが果たして人として正しいことなのでしょうか(価値観の問題です)。それに、そんな重大な判断ができるほど人を見る目のある教師が一体世の中どれだけいるというのでしょうか。

 (3)について。
 これはまあ蛇足です。蛇足ですが、メカさんの「議論」の姿勢が伺えるので、あえて独立した項目にしてみました。
 私は宗教一般が民主主義に反するだとか、国民を騙すものだなどと言ってはいません。むしろ、そうではない、ということは言ったつもりなんですが。ところが、たとえばメカさんはこうおっしゃいます:
> ロジックとしてはとても似てますよね。一般大衆など幸せに騙してやればいいのだ、ということですから。

宗教を「騙す」という概念でしか捉えられないところに、あなたの思考の限界というか偏りがあるように思うね。たとえば精神障害者に対して抗うつ剤など薬で解決するというのは、人によっては強引な手法と感じることもあるだろう。精神分析みたいな手法が正しいと信じられた時代もあったよね。心の問題なのだから心の中の悩みを時間をかけて解きほぐすのが正しいのだ、と。
メカさんの言う人工宗教が国民を騙すものだ、と言っているのであって、宗教一般について「騙す」ものだなどと勝手に広げないでくださいね。どうもメカさんには、私(FSM)という人間はこう考えているはずだ、というのが抜き難くあって、それに合う文言が表れると、一部を切り取ってそれが全体であるかのように言う癖があるようです。もちろん先入観なしに物事を見ることはできませんから、メカさんが、FSMというのはこういう人間だろう、と予想するのは別に問題ないのですが、せめて書かれたことぐらいは読み取って欲しいなあと思います。それともそんなに読み辛い文章ですかね?


というわけで、(2)の論点については、メカさんは頑なに御自分の意見を変える気はないようですし、こちらとしても客観的に示せるようなものがあるわけではありませんので、これ以上は議論しても仕方がないでしょう。希望を一つ挙げるならば、ぜひ、御自分で、色々な方と-特にニセ科学をなんとなく信じてしまっているような人々と-直接話をしていただきたいと思います。ネット上じゃなくて、ね。ネット上だと、また少し話が変わると思うので。書いたものが残っちゃいますから、意固地にもなるだろうし(このことはpoohさんのところでも書きました)。
 (1)の論点については、とりあえずざっと気付くだけでもこれぐらいの問題点があります。民主主義については、原理的に最善だと思っている人はあまりいないでしょうが、しかし知られているなかでは最善であろうというあたりが皆の合意するところではないでしょうか。そして、人工宗教がそれを解決するとは思えない、と。


あとは本当に蛇足ですが、返答が必要かなと思われるコメントについてだけ、レスしておきます。zororiさんや黄金の口さんのコメント内容とかぶる点が多々あると思いますが、ご容赦ください。
> 受容者は、自覚的にある思想を持って何かを信じているわけではないですよね。

その点が俺と決定的に考え方が違う。自覚はしていなくても、人間が疑似科学やカルトや宗教に求めているものには一つの普遍的な存在があると俺は考える。ただこれまでその存在が人間には断片的にしか見えていないので、様々な形(キリスト教だったり、水伝だったり、オウム真理教だったり)をとっているだけだ。
ですから、自覚はしていないけど、「求めている」ことの根底を分析すると、おそらく共通するものがある、ということですよね?それは私も同意しています。
人工宗教の構築という考えと疑似科学批判の接点として「疑似科学を信奉する人の心理」が見えるわけだ。俺はそういうとらえ方をしているので、そういう表現になる。だから疑似科学との接点だけに話を限定するならばあなたの定義でも問題ない。ただ、そこに限定する限り疑似科学の問題は解決できないというのが俺の考えなので、そういう話にはしたくない。

(中略)
> だから、直接的には受容者がどういう心理的メカニズムで信じるに至ったか/信じ続けるか、という問題の分析が必要だし、

そのアプローチを続けたのに成果が上がらないのだから、アプローチを変えるべきで、信じるメカニズムではなく、信じるモノ、本体に焦点を当て、本体の全貌を描き出すことが、俺のいう「思想に切り込む」ということ。
ええとよくわからない。「信じるモノ、本体」というのは、具体的には何をイメージしています?「水伝」だったら、江本の主張(あるいは思想)ということでしょうか?受容者側についてではなく。さっきまでは受容者側の話だと思っていたので、混乱しております。下を見ると、やっぱ受容者側のことを問題にしているようにも見えるけれど。
> 後者については思想と言ってもいいのだとは思いますが(そして私が「恐るべきイデオロギー」などと言っているのはこちらに当たります)。

そういう分け方だと俺がいう思想の本質は「後者」になるだろうね。
ということであるならば、「信じるモノ、本体」というのは、受容者側に蔓延するものの見方のようなものになると思いますが…。いや「信じるモノ、本体」という言葉がよくわからないのですが、受容者側において、受容者が受容するに至る過程の本質のようなものを指しているのでしょうか?江本のような発信元の主張でもなく、個別の受容プロセスのことでもなく。
何が「ちゃんとした世界観」なのかって話だよねぇ。あなたにはあなたなりの「ちゃんとした世界観」があるのだろうけど、それがどうしてそんな自信満々に唯一のものだと信じられるのか。
なにをもって「ちゃんとした」かは深い問題だと思いますよ。ただ、自分で考え判断する力であるとか、そのためには世界をどう見るべきか、とかは自と定まってくるのではないでしょうか(漠然としてではあれ)。少なくとも、嘘であることがわかっているものを押しつけるのがいいことであるとは思えません。
宗教が民主主義に反するというのはおそらく、教義や教祖に盲従し個人の意見を持たない人間が増える事を危惧しているのだと思う。しかし現実的には大部分の人間は自分の意見を積極的には持っていない。他人や世論やメディアに盲従しているだけだ。だから大部分の人間が盲従することそれ自体は民主主義に致命的だとは俺は思わない。

問題があるとすれば宗教やカルトは自己変革の要素を持たないか非常に乏しいことだ。その点自然科学は極めて優れているよね。だからあなたは民主主義と自然科学が好きなのだろう。俺も好きだ(笑)。しかしキリスト教だって長い年月がかかったがある程度自己変革を行ってきていると思う。自己変革の要素を持たないことが宗教の本質ではないと俺は考える。
これも同意です。というか、そういう話をしていたつもりだったのだけど。
宗教がカバーする範囲を法律できっちり制限し、その外側にはみ出さないようにすれば、危険性はかなり減るはず。
ここが問題。既に法律的には宗教団体の定義はあるわけですが(税制上の問題として)、そういう話をしたいわけではないのですよね、きっと。とすると、個々人の思想に法律の網をかけようというわけで、それがメカさんの言う人工宗教のことなのかもしれませんが、そんな世の中私ゃゴメンですよ。
繰り返しになるけれど大部分の人間は論理的思考も科学的思考も客観的思考も出来ないし、望みもしない。そしてそういう状態で人類はここまで来たのだから、それでいいと思うよ、俺は。出来ないものを無理に「すべきだ」とやらせたところで、出来ないことには変わりないし、苦痛が残るだけだ。出来る人間だけがやればいいし、今までもそうだった。
だから、出来る人が少しづつでも増えればいいのでは?それに、誰が出来る出来ないを判別するのですか?大体、そんな世の中になったら、メカさんが「できる」側にまわらせてもらえるとはとても思えないですよ(私も含めて、ね)。
フランス革命が起きたとき、それまで政治を引き受けてきた王様も、民衆に政治なんて出来るわけがない、危険すぎると思ったんじゃない?(笑)
麻生太郎だってそう思ってたんじゃないかな。いや、いっそう強く思っているかも。
まあ実際に強制するとかしないとかの話の前段階として、そういうもの(人工的な宗教)がどういうものになるかどうか、それが本当に人の心の一定部分をカバーできるか、などを研究する価値はあると思うけどね。それとも遺伝子組み換えみたいに、研究すること自体が危険であり許し難い神への冒涜という考え?
いや、研究すればいいのではないでしょうか。というか、ありそうな気がするけど。そういう発想に私は賛成はしかねますが、研究したい人は研究すれば?というだけです。
> 表れ方は多様ですから、メカさんの問題意識にある受容者の下半分の人々もいれば、なんとなく信じる人もいるし、普通の科学の結果と同列のものとして捉える人もいる。

カルトや疑似科学は人間の心を研究する良い材料だと思うよ。精神障害者を研究することで健常者の脳の働きも解明されてきた。極端なものの方が研究しやすいはず。人工宗教を作ってそれを国教とするにしても、長い時間がかかる。50年とか100年とかかかるんじゃなかろうか。とりあえずそのための研究は始めるべきだと思う。始めないことには永久に始まらない。その過程でやっぱダメだという結論になったなら、それはそれでいいわけだよ。
人工宗教がworkするとはとても思えませんが、まあその通りだと思いますよ。
> > 疑似科学を信じる理由や状況は様々であり一筋縄で分析することは難しい
> ということと矛盾するとは思いません。たぶん、メカさんと私は、似たようなことを考えているのだと思います。

難しいからそこには触れないで差し迫ったことにだけ注力しようと考えるか、難しくてもいつか始めなければ始まらないと考えるかの違いかな。
「だけ」に注力しているつもりはなくて、問題意識としては持っているのだけれども、難しいからとりあえず放置、ときどき思い出したように論ずる、という感じかな。ある程度まとまった論考であれば、触れられているとは思いますけどね。それに、ニセ科学の文脈とは別に、そういう論考をされている方もいるようですし。やるべきだ、と思った方がやっていただくのが一番なんですよ。私も、私がやるべきだと思ったことをやっているわけで。
> かなり誤解されていると思いますが、ニセ科学においては、カルト的主張は誤った科学的「事実」によって根拠づけられています。ですから、「こじつけ」ではなく、彼らの主張の重要な部分になっているのです。

耳にたこができるほど聞いてるんだけど、なぜ疑似科学側がいう「科学的事実」が、自然科学でいう「科学的事実」と同じであり、自然科学の尺度で測れるものであると思うのだろう。

そういうと「彼ら(疑似科学支持者)自身が、科学だといってるじゃないか」という答えが返ってくると思うのだけど、なぜ彼らが考える「科学」と疑似科学批判者が考える「科学」が同じものでなければならないのか。

もちろん混同すると社会に多大な混乱を巻き起こす事柄はある。医師とか医薬品とかは重大な問題を引き起こすから、自称してはならないと法律で規制されているわけだ。しかし「科学」という言葉を自由な定義で使うことは、現在の法律では規制されていない。つまり社会にとってそこまで重大な事だとは考えられていないわけだ。むしろ規制してしまうことの問題の方が大きいと考えられているのだろう。

そういう現実を無視して、「科学」という言葉を自分たちの考える以外の意味で使うのはまかり成らんという主張は、神という言葉を自分たちがあがめ奉る神以外に使うのはけしからんと主張するのと同じだと思うよ。
いやいやいや、彼らは同じ意味で使おうとしているのですよ。たとえば(「水伝」ばかりで申し訳ないけど)江本の本を読めば、波動の説明は音叉の共鳴から入るし、現代量子力学で説明可能だとか言っているし。もちろん彼らの科学の理解は決定的に間違っているので(書かれたものを読む限りは)、それをもって彼らが考えている「科学」が我々のものと違うと主張することはできる。でも、それに一体何の意味があるでしょう?
 なんというかな、児童虐待の言い訳に「これはしつけだ」というのがよくあるわけですが、それに対して「それはしつけではない」と批判するのが意味がない、と言うのと同じに聞こえますね。
> そして、こうやって水伝を批判することが、
> > それを争点にして世間にその是非を問い、審判を仰がなければならない
> のプロセスの一つであるわけです。

批判の仕方が正しくないといってるのだが。水伝の思想(水の結晶に善悪の判断を委ねること)が不健全と思うなら、その点を批判すべきで、科学という言葉を自分たちの専売特許というか既得権のごとく捉えて、水伝にその使用を禁じるのは、正攻法な批判ではない。宗教が同じような主張をやったらあなたはどうするのか。人類の誕生については我々の宗教しか語ってはならない、とか。
どうしてそう捉えられるのか不思議で仕方ありません。
あなたは、
水伝が社会的に有害であると主張するなら、それを争点にして世間にその是非を問い、審判を仰がなければならない。自分が「水伝は有害だ」と考えるからと言って、何とかダメージを負わせる手段はないものかと本質的な問題点でない部分でスキャンダルを探して社会的に抹殺を画策するというのは、正当な手段ではない。自分の判断が間違っていたらとんだ独善ではないか。
と言ったのであって、それに対して、(1)科学的に間違っているということは本質に含まれる、(2)科学的に間違っていることを流布させようとすること自体問題を孕んでいる(社会の周辺であれば問題視されなかったであろうが、教育現場などでの蔓延を放置するわけにはいかない)、(3)科学の部分だけではなく、道徳(水伝の場合であれば)その他においても問題が多い、ということを言ったつもりです。ですから、これがまさに「争点にして世間にその是非を問い、審判を仰」ごうという過程の一つなわけです。過程の一つですから、我々が間違っている可能性は当然折り込み済みです。あなたの視点からは我々の批判が間違っているということになるのでしょうが、それはあくまでもあなたの視点です。あなたの判断と違うことをもって独善のように言うのはおかしくありませんか。
> 水伝の主張自体が、既存の科学にダメージを与えるものです。

そんなこと言い出したら、科学が宗教にダメージを与えることも配慮しなければならなくなる。つくづく思うんだよね。疑似科学批判者というのは逆の立場に立たされて、自分たちが今使っている同じ武器で自分が立ちが攻撃されたらどうするかを考えていない。
科学が宗教にダメージを与える可能性はあります。宗教に限らず、いろいろなものにダメージを与え得ます。善意にだってダメージを与えます。だからこそ、客観的に検証されるというプロセスが必要なわけで、そこが科学とそれ以外を分ける分岐点でしょう。この社会において科学を進歩させることに合意するということは、人類の思惑とは異なる結果になることをも(検証されれば)受け入れざるを得ないということを含意しているのです。それにですね、科学は常に攻撃にさらされてきたのですよ。ガリレオを例に出すまでもなく。それを、客観的な検証という強力な武器をもってはね返してきたわけです。
疑似科学番組を減らすようにメディアに圧力をかける話についても、どこかの宗教が数にものをいわせてテレビ局に逆のことをやった場合、あなたはそれを国民の意見の反映だと肯定するのだろうか。
誰にだって抗議する権利はあります。だから、有限の資源である電波については法律で規制がかかるわけだし、なるべく公権力の介入を招かないようBPOのような自主的な団体によって自制させることも重要なわけです。科学に反することを実行する権利は誰にだってあるのですよ。そういう人が多数になれば、国家としてそうすることだって実際問題できるわけですよ。肯定するとかしないとかじゃなくて、それが現実でしょう?
> 繰り返しますが、科学的に誤っている部分も、彼らの主張の重要な一部です(図の右側)。そこを指摘することは、奇手で妙手でもないし、邪道でもありません。

どうしてそう考えるのか俺には理解できない。少なくともあんたの一連の文章には説得力を感じない。強弁しているだけに見える。あなた自身、自分の説明に説得力を感じているの?
ええ、江本の本をいくらかでも読めば、科学的な説明は彼らの根本を成していることはすぐわかりますし、またいままで話しをしてきた人々の反応からも、ゆるく受容している(そして多くはこういう層)人々は、科学的に根拠があるから受容してきたということが実感としてあります。
 あなたが疑うのは自由ですよ。私が実感していることをメカさんに伝えられないのは残念ですが、しかし逆にメカさんの言葉に私は説得力を全く感じないので。
> その疑問はもっともで、その影響についても論文中では指摘されています。実際にどれくらい影響があるかの分析は、残念ながら書かれていませんけれども。

ん?あなたが統計をとったんじゃないの?まあ、どうでもいいけど、そういう自分にとって不都合な面を(俺から突っ込まれるまで)言わないという姿勢はあまり感心できないな。疑似科学支持者が不都合な実験データを隠して、都合の良いデータだけを並べるのと変わらない。
私じゃないですよ(と言ったはずだけどなあ)。心理学者の論文です。それに、そこは論文の趣旨の本質じゃないし、詳しい紹介はいずれしたいとも述べたはずです。

***

なんというのかな、そこまで我々が物を考えていない人間と思われているのかと思うと、悲しくなりますね。

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