「宗教の『急所』は何処にあるか」小林多喜二 | ほたるいかの書きつけ

「宗教の『急所』は何処にあるか」小林多喜二

 宗教は阿片だ、宗教は阿片だぞと、それをたとえ千ベン繰りかえしたとしても、そんなことが一体どうなるか、と云うことを私は云いたいと思うのです。阿片を飲めば身体がこんな風になると云われて居り、而もそのことを国法が禁じていてさえ、密輸入してそれを喫する人があるではありませんか。何故か。――こゝに秘密がある。――私はそう思っています。
 冒頭から引用で恐縮だが、これは最近出た『小林多喜二名作集「近代日本の貧困」』に収められている「宗教の『急所』は何処にあるか」という短文の冒頭の一節である。私は学生時代に文庫になっていた多喜二の作品を幾つか読んだきりなのだが(最近マンガになった『蟹工船』は、どんなマンガになったんだろうと思って読みましたが)、この作品集には小説だけではなく、この文章のようなパンフレット的な文章も収められている(小説でも「こんな文章も多喜二は書いていたのか!」と色々発見があったがそれはまた別の話)。

 さて、この文章を正しく理解するためには、当然当時の時代背景を思いやる必要がある。80年前の日本において、宗教がどのような役割を果たしていたか、だ。
 エラそうなことを書いておきながら私もよく知りはしないのだが、戦後、政教分離が厳密に行われるようになり(少なくとも建前としては)、もはや文化としての宗教としての側面の方が日常においては強くなったと言っても過言ではない今日の日本とは異なり、(相対的に)隅々まで宗教に支配されていたと考えるべきだろう。それは、例として加持祈祷が挙げられていることからも推し量ることができる。また、「現代の国家では(過去の政教一致の体制とは‐引用者注)ちがって、『神』と『政』又『神』と『教育』が離れていますが、本質にはちっとも違いなく、かえってその関係が巧妙に行われてると云って差し支えないのです。」と述べていることからも、かえって当時の時代状況から考えれば、相当強固に宗教が生活と密着していたことが伺える。

 この短文の結論は、要は宗教というものは現実社会の反映であり、現代(当時の)の資本主義社会における経済関係においては、貧困や窮乏、没落といったものが、人間にはどうすることもできない力となって襲ってくるものであり、そのような状況では、つい宗教を信じたくなるものだ、ということだ。マルクスの「宗教は顛倒している現実から来ているひとつの理論である。だから、その顛倒している現実が解体すると宗教も自ら破砕する」という言葉や、レーニンの「宗教に対する闘争は結局その顛倒している社会をもう一つでんぐり返りさせて、正当な社会にするために闘う階級闘争の具体的実践の一分野として、それと共に闘われなければならない。」という言葉が最後に引用されている。
 繰り返すが、ここでの「宗教」は無論現代社会における理性的な宗教でもないし、科学と共存し得るような宗教でもないし、また人生における価値を探る指針となるような宗教でもない。例えて言うならば江原啓之であり、科学的言辞を散りばめた占いであり、そしてニセ科学であろう。まさに「阿片としての宗教」である。

 というわけで、この短文が議論している内容は、ほぼそのまま現代におけるニセ科学の問題にも通ずるのではないか、と私には思える。現代的新興宗教(のうち社会的に問題のあるもの)やニセ科学が昔に比べれば大規模な体系を持っておらず個別的な部分にとどまっているものが多いなど、状況の違いを考慮すべき点は多々あるけれども、結局現実社会における矛盾からの逃避としての宗教であったりニセ科学であったりという側面をおさえておく必要はあるのだろう。
 上記レーニンの言葉を引用した直後の多喜二の言葉をここで引用しておく。
然しこう云ったからとて、無神論の理論的宣伝の効果をちっとも否定しているのではなく、たゞそれだけでは不充分だということなのです。(もの分かりのいゝ自由主義者とか、急進ブルジョワ学者は、この「しゃべる」方面だけでしか宗教の闘争をしないので、殊更にこのことを強調するわけです。)
ニセ科学批判の文脈で捉えるなら、「無神論の理論的宣伝」というのは個別のニセ科学の批判(ベタ)であったり論理的な科学哲学の把握(メタ)ということになるのだろう。
 『信じぬものは救われる』(香山リカ・菊池誠)についてのエントリ でも触れたが、ニセ科学批判が潜在的に(あくまでも潜在的に)持つ射程の長さというのは、本質的にはこのような部分から来るのだろう。
 結局は、あとからあとから湧いてくるニセ科学を撃破しつつ、その発生源となる社会の矛盾―「超自然的」なものを信じることでしか救済されないとしか思えない矛盾―を取り除くということが、根本的な「治療」のためには必要なのだと思う。もちろん、人間社会があるかぎり矛盾はあるだろうから、完全になくなるということはないのだろうけど。

 新書のたった8ページの文章なので、立ち読みでもいいから目を通されることをおススメします。実に明快な文章なので。いや、それ以外の短編も面白いのだけど。

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