まずは、悩もう | ほたるいかの書きつけ

まずは、悩もう

信じぬ者は救われる/香山 リカ
¥1,470
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 というわけで、読みました。「信じぬ者は救われる」。
 ニセ科学やスピリチュアルの蔓延に「なんか変だ、このままでいいのだろうか」と思っている人にはとてもいい本だと思う。さらに言えば、「ニセ科学などを批判している人がいるらしい、でもネットをいくつか見てみたけど、もっとこう批判したほうがいいんじゃないか」というような、いわゆる「ニセ科学批判批判」を考えている方には特に読んで欲しい。ニセ科学を批判している裏で、どれだけ多くのことが、どれだけ深く考えられているのか、実感できると思う。

 kikulogのエントリ「香山さんとの対談」 できくちさんご本人が語っているように、「悩みはつきない」のであるが、悩みを共有するというのは、次のステップへの準備として重要なのだと思う。この対談でもあちこちで語られているが、ニセ科学にしろスピリチュアルにしろ、あるいは社会的・政治的な問題への態度にしろ、なにか共通するものがありそうで、それが現代社会を特徴づけているという側面もあるように見える。なので、色々な問題に共通する部分を「悩み」という形であれあぶりだしていくことは、問題を整理し本質的な問題に迫る有効な方法であろう(そして、こういうのが有効な「メタな議論」だ)。


 科学という営みは、「要素還元」と還元された要素の「総合」だ。この2方向の考察が繰り返されることで、自然や社会に対する理解が深まっていく。ニセ科学批判もそのように捉えることが出来る。個別のニセ科学に対する「ベタ」な考察と、個々のニセ科学に現れる特性を抜き出し法則性を見つけ出す「メタ」な考察とが絡み合い、理解を深めていく。その意味で、ニセ科学批判も科学的な営みだ。

 もちろん我々の置かれた状態は常に「悩ましい」のであって、すぐに答えが出るわけではない。たとえば簡単み見える「質量とはなにか」という問題だって、考えればよくわからない悩ましい問題なのだ。でも、問題を整理し、要素に分解し、問題の本質をあぶりだす中で、素粒子の相互作用として質量獲得のメカニズムが議論されている(まだ実証されていないけれども)。そこに至る段階で、「わかった」ことは沢山ある。「わかった」ということは、当初の問題への解決が得られたということではなく、その問題はどういうことなのか、どういう問題が絡んでいるのか、ということを理解したということであって、いわゆる「問題の切り分け」ができた、ということになろう。

 ニセ科学の問題だって、一足飛びに「こうすればいい」という答えなんか出るわけがないのであって、個別の問題を徹底的に批判的に検討し、各分野-自然科学に限らず、社会的政治的行動まで含めて-で特徴的に現れることを考察する中で、少しづつ理解していくものなのだ。そして、それは実際に行動していくなかで(ネット上で文章を書いていくのだって立派な行動だが)考える材料が得られ、深まっていくものだろう。


 この本の特筆すべき点の一つは、そのような「メタな議論」を展開しながら、ニセ科学批判の射程が潜在的にはものすごく広いことを示唆していることだと思う。おそらくは、この社会のありかたそのものと関わっている、ものすごく大きい問題の一つの表れなのだろう。

 なお、こちら(編集者が見た日本と世界) でこの本を編集された方のコメントが読める。