『護憲派の語る「改憲」論』 | ほたるいかの書きつけ

『護憲派の語る「改憲」論』

 先日読んだ本、『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(それについてのエントリ )に関連して。
護憲派の語る「改憲」論―日本国憲法の「正しい」変え方 (角川oneテーマ21 A 69)/大塚 英志
¥720
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 この本は2007年7月発行。内容は、その目次に明確に現れているので、それを記そう。

Step 1 もういいかげん「考えなし」の改憲論だけはやめる
Step 2 日本国憲法があるから日本がダメになったのか
     日本国憲法を使わなかったから日本がダメになったのか見きわめる
Step 3 憲法改正の国民投票までの三年間で「公論」の担い手となる
Step 4 もう子どもたちは始めている―私たちの書く憲法前文'07年版
Step 5 提案 十二年後に「改憲」を問う国民投票を行う法律を作り同時に「憲法教育」を教育の根本におく

 見ればわかるように、この本は、「なんとなく」改憲を支持する人々に向けて語られている。またそれと同時に、なぜ「なんとなく改憲を支持する」人々が多数派なのか(9条改憲が少数派になったのはついひと月前のことだ!)について考えられず、護憲と言うだけでとりあえず安心して思考停止してしまう「護憲派」への批判でもある。

 9条を護りたい側から見れば(ちなみに私はもちろん9条維持を主張するが、9条以外のところでは将来的には変えたほうがいい部分はあると思っている)、「なんとなく」改憲を志向する人々はなんとも悩ましい存在である。存在が悩ましいのではなく、「なんとなく」国の根幹にかかわる憲法を変えようと言えてしまうその発想が悩ましいのである。
 そこで、Step 1 では、9条を変えたくてたまらない人々が振り撒く典型的な改憲論についてまずは丁寧に批判をする。ここで、読者は自分の考えが「流されていたのかも」と気づくであろう(自分に引き付けて読む能力があればね)。

 その上で、憲法についての考察を深めていく。生存権とは、両性の平等とは、と。そして、折角憲法があるのに、いまの世の中は憲法を使っていないんじゃないか、と説く。逆に言えば、うまく使えば世の中もっと良くなっているはずなのに―つまり大方の人々の不満は憲法を「使う」ことで劇的に改善されるであろうに―その発想がないのではない、と。根本の発想が、憲法を視野の外に置き、この国をいいように動かしたい人々に毒されているのではないか、と、そこの部分について己を見つめなおして欲しいと思う。

 自己を振り返るそのプロセスは、とりもなおさず民主主義社会の構成員として自立することでもある。「動物化する有権者」ではいかんだろう、と。

 そこで著者は、少し前から、自分の言葉で「憲法前文」を書く、という運動をしている。子どもが書いた憲法前文も載っているが、微笑ましいものもあれば本質を突くようなするどいものもある。

 そのように憲法というものを自分の実感から、生活から捉えなおすことで、おそらく「なんとなく」改憲という主体性のない選択から逃れ、自立した有権者へと脱皮していくのだろう。それは有効な一つの手段なのだと思う。

 さて、というわけで、憲法前文を書く、という方法論については、それも一つの方法だと思うが、もちろん唯一絶対のものでもないだろう。大事なのは、憲法というものについての考察を深めていくことだ。しかも、その際、「いかに使うか」という発想は外せないものだろう。もちろん、9条についてもだ。9条を如何に使うかについては、先日のエントリで触れたように紛争の解決ということで直接有効であろうし、それにいままで「護憲派」がさんざん言ってきた、そもそも戦争にならないような世の中を作ろうという意味でも有効だろう。色々な形がある。
 しかしそれだけではなくて、この本で触れているように、生存権にしろ両性の平等にしろ、憲法というのは実は日常生活と密接に関わっているのであるから、どのように関わっているのかを明らかにする上で、どのように使うかを考えるというのは非常に有効なのだろうと思う。
 そして、憲法がどのように日常と関わっているのかを理解し実感することは、茫洋とした改憲論を打破する上で欠くべからざるものなのだと思う。
 その意味で、これはいわゆる「護憲派」に対し、単に「護憲」と叫ぶだけではなく、なぜ、なんのために憲法を護るのか、その内実をわかりやすく語れ、と迫っている書でもあるのだ。

 この本が発行されてから1年。あと2年で発議は可能になる。
 9条を護る運動を広げつつ、憲法の中身について、可能性について、考え、語るということを、一人ひとりがやらないといけない。それを考える上で、示唆的な本だと思う。