うちの裏の山の上には小さな祠があり、そこは近所の人々から『お稲荷さん』と呼ばれていた。麓からその祠までは雑草に覆われた粗末な階段があり、その階段を跨ぐようにして、点々と赤い鳥居が続いていた。
毎年初午の日の夕方に、そのお稲荷さんにおいなりさんを供えてその年の作物の豊穣を祈るのが、この村の古くからのしきたりだった。しかし、年々過疎化と高齢化が進み、ここ数年は、そのお供物をするのもうちだけになっていた。
さて、今年もそんな初午の日がやってきたのだが、毎年一緒にお供えに行っていた祖母が数日前から膝を壊してしまい、今年は僕が1人で行かねばならないことになった。
祖母お手製のおいなりさんの入った重箱の包みを抱え、小さい頃はよく1人でこの山に遊びに来ていたな、などと思い出に浸りつつ、荒れた階段を登る。いくつ目かの鳥居をくぐった末、祠に到着した。空はすっかり茜色に染まっていた。
包みを解き、重箱をお供えして、2度手を鳴らす。すると、どこからか声が聞こえた。
「おーおー大義大義。今年もよう来たのう」
高慢な、しかし細く澄んだ、高い声。まるで少女のような……。声の主を探して辺りを見回す。
「おお、こっちじゃこっち。祠の中じゃ」
確かに声は、祠の中から聞こえるようだった。
「いやはや、毎年来てくれておるのは知っておったが、こうして話をするのは初めてじゃのう」
「ええと、あの……ど、どちら様で?」
正体不明の声に、吃りつつ間抜けな問いを返す。
「ん?わらわか?宇迦之御魂じゃ。決まっておろう。ここの主祭神じゃよ」
「う、うかのみたま?」
なんだそれは。……聞いたことがあるようなないような。
「なんじゃ、きょとんとしおって。毎年豊穣を祈りながら祭神の名も知らんのか罰当たりめ。……まあよい、そんな事より話をしよう」
「話、ですか?」
「うむ!わらわは今日でここを去らねばならぬ。故に、最後にこの村の者と話がしたいのじゃ。思い出作りというやつじゃな!」
かっかっか!と、特徴的な笑い声が響いた。
「去る?神様、いなくなっちゃうんですか?」
「うむ!この村にはもう農業をやっとる者もおらんじゃろう。豊穣神たるわらわがこれ以上ここにおっても仕方がないからのう。……そろそろ帰ってこいとうるさくもあったしの」
「な、なるほど」
よくわからない。
「まあしかしあれじゃな!最後に来てくれたのがお主で、わらわは嬉しいぞ!」
「そ、そうなんですか?」
「うむ!わらわはお主が気に入っておるからの!!「気に入ってる?」
「そうじゃ!お主、子供の頃よくここに遊びに来ておったろう?もうしばらく前から、ここに参る者はほとんどおらんようになっておったが、御主が遊びに来てくれるおかげで、わらわは寂しさをあまり感じずに済んだ!故にお主には感謝しておるし、気に入っておるのじゃ!!……まあ、最近はあまり顔を見せてくれなくなってしまったがの」
寂しそうな声に、少し胸がチリチリする。
「なんか……すみません」
「いやいや、謝ることはない!気にするな!大人になるというのはそういうことじゃからな!!それに毎年、美味い物を持ってきてくれたしの!!」
そう言うと、声はまた、かっかっか!と笑う。
「さて、そろそろかの……」
辺りはいつの間にか、夜の闇に黒く染められていた。祠からの独り言のような声が、その闇に溶けていった。
「そろそろ?」
「うむ。迎えがきたようじゃ」
次の瞬間、背後から強烈な光を浴びる。僕は驚いて振り返り、光の出所を追って空を見上げた。
「あれは……」
大きな黒い三角形が、音もなく空に浮かんでいた。そののっぺりとした三角形の姿を僕は知っていた。都市伝説の本で見たことがある。
「TR-3B!!!」
まさか実在したとは。驚く僕の背後で、ぎぃっと、扉の開く音がした。振り向くと、そこには
「のう、少年よ」
全身がぬめぬめとした軟体動物のような姿に巨大な頭……
「わらわと一緒に来ぬか?」
細長い無数の触手のような脚を持った、古典的な姿の宇宙人がいた。
「さっきも言うたが、わらわはお主が気に入っておる。わらわと夫婦にならぬか?悪いようにはせぬぞ?」
宇宙人は、触手の一本を伸ばし、僕の頬に触れた。
目を覚ました時、僕は自宅のベッドの中にいた。僕の帰りがあまりに遅いのを心配した父が、祠の前で泡を吹いて倒れている僕を見つけ、部屋まで運んだのだそうだ。
祠の扉が開いていたが、中には何もなかったらしい。お供え物のおいなりさんは、重箱ごと跡形もなく消えていたそうだ。