ヒロシマとナガサキ | 堅忍不抜を目指したい

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1945年の8月6日広島で、8月9日に長崎で、アメリカ軍による原爆投下があって今年で67年。

私は6日の広島での平和記念式典に参加しました。悲劇があった同じ場所で同じ日時に黙祷がしたかった。ただこれだけの理由で、青春18きっぷで一日かけて行きました。

今日は長崎での平和祈念式典ですね!ホントはこっちにも参加したかった。


広島ではウラン型、長崎ではプルトニウム型が落とされました。
多大なる一般市民が亡くなり、今もなお遺族の方や、被爆者の方が生きられております。


広島の平和記念式典に参加したからといって偉いとか、何かが変わるとかはないけれど、多くの人が国籍関係なく平和を願っているということが知れるし、少しは当時の悲惨な状況を誰かに話すことができる。

そして、私は、この「伝える」ということが平和のための第一歩だと信じています。

例えば、
広島で原爆が落とされて15万人以上が亡くなった。
ルワンダで虐殺があって100日で80万人が殺された。
毛沢東の文革などの改革運動で2000万人の若者が命を落とした。

こんなことが語られても、正直言ってピンと来ないだろう。リアリティーが無いから。
式典の中の市長の宣言の中に、原爆投下後で死の街となった中、死体撤去をしていた少年の話があった。

少年は死体をトラックに乗せるべく、足首をつかんで持ち上げようとするが、やけどを負っている遺体がほとんどなので、ニュルっと皮がとれてしまう。仕方なくむき出しになった骨をつかんでトラックに乗せる。何人かを乗せたら体液で手がビチャビチャになってしまった。

ボクはこれを聞いて、頭の中で想像してゾッとした。おぞましすぎる光景・・・

人間には想像力がある。核保有国のお偉いさんや、核武装を唱える人々は、原爆が投下された広島と長崎の悲惨な状況を知って、想像してほしい。核兵器がいかに人間にとって不要なものかわかるだろう。

日本人は核兵器を持ってない先進国の人として、そして核爆弾を経験している国の人として、平和を掲げる先陣を切る存在になれる。

世界の模範になれる国であるといえる。だから僕はもっと勉強しようと思う。


ちなみに、電車の中で原爆が落とされたときのことを考えていたら、パっと思いついたのが、
巣穴付近でせっせと働いているアリを無意識で人間が踏んでしまうようなものなのかな~

というものだった。そしたら6日の朝日新聞コラムに「原爆投下は人をアリと見る所業であった」
と書いてあり、朝日新聞の記事を書く人と想像力が一致して、舞い上がってしまった。