一年生の壁 8 | 勝者=敗者 ~越えられない背中を目指して~

勝者=敗者 ~越えられない背中を目指して~

曙五郎の高校生活、柔道に打ち込んだ青春時代を書いています。

気分で更新しますので気長にお付き合いよろしくお願いいたします。

尚、登場人物はすべて架空の人物です。

4月に高校に入学して気が付くと6月の中盤になっていた。

 

4月、5月は主要大会の予選があり全く出ていなかった月次試合(毎月1回開催される地区の柔道連盟主催の無差別段別の試合)に五郎たちは今月から参加することになった。

各学校も4月、5月は控えていたが今月は上位の大会に出場しない学生はほとんど出場するいことになった。

 

月次試合は各段別で五郎は初弐段の部に出場する。今月は特にどこの学校のほぼ全員がエントリーしていたので、A~Fまで分かれての試合だった。

試合の形式はまず横一列に名前が書いてあり自分の名前の横に書いてある選手と試合をして2回勝ったらトーナメントに上がることができるポイント制の試合だ。

五郎の初戦の相手は長尾高校の2年生だった。

自分よりも体格があったので不安はあったが、難なく大外刈りで一本勝ちして、予選2回戦は農大付属の同級生川内との対戦だった。

川内は五郎と同じく小学校のころから知っていて、小学校時代はまん丸太っていて背はあまり変わらないものの、横に大きく一度も勝てなかった1人であった。しかし中学に入ってから体重別になって川内自身がスマートになり力の差を感じなくなり、1年生の新人戦のころには五郎が常に勝てるようになっていた。

今回も久しぶりの対戦ではあったが、判定で五郎が勝利した。

トーナメントに上がり一回戦は樟学園の同級生で同じ階級で他県から推薦で入学した新上との対戦だった。

新上とは中学時代に地方大会の団体準々決勝で一度対戦しており、その時は得意の大外刈りを2回返されて合わせ技で一本負けをしていた。

新上本人は全国的にも有名で国際大会で銀メダルに輝いた実績もある選手で、当時は組んだ瞬間に勝てないと五郎が思ったほどだった。

今回久しぶりの試合だったが、組負けることはたびたびあったものの、あの時のように勝てないという感覚はなく、かといって勝てるような感じもないまま時間となり判定で負けた。

 

この試合を見ていた福岡先生は「もう少し自分から前に出ないとおかん」と厳しい言葉の後に、「一年前よりも差は縮まっておるから頑張れ」と言葉をかけてくれた。

 

翌月からの月次試合でもトーナメントには上がれるものの1回戦の壁を破れないまま、8月になり、金鷲旗を最後に三年生が正式に引退した。

 

夏休みに入ってからは正式に2年生の大町さんがキャプテンになり、新メンバーで練習がスタートした。