先日、世の中の「車」に対する感覚、特に「社会人の男性が軽自動車
に乗ること」についての常識が、私の感覚と大きくずれている
ことを痛感しました。
そのきっかけの一つは、好きなYouTuberであるドントテルミ新井さんのセカンドチャンネル。
新井さんは、走行距離の多い中古の軽自動車を乗り継ぐ、いわゆる「廃車ギリギリの車好き」であることを公言されています。
特に印象的だったのは、新井さんの奥さんが「社会人で男の人が軽の車に乗っているのは恥ずかしい」
という感覚を持っていたという話。
そしてもう一つは、今読んでいる辻村深月さんの小説『傲慢と善良』。
作中、主人公の真美が住む車社会の群馬県では、「車があることがステータスであり、どんな車に乗っているかがその人の魅力に直結する」という価値観が描かれていました。
小説内で、「社会人になったら、特に男性は普通車で、軽なんてありえない」という表現が出てきたのです。
この二つの情報が示すのは、「地方都市や車社会において、男性が軽自動車に乗ることは、一般的にステータスが低いと見なされる傾向
がある」という現実です。
目次
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社会人初期の選択:私の「軽」の理由
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軽自動車に乗る男性への「安心感」と、世間とのズレ
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ステータス消費の重要性:世の中を回す歯車
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価値観の尊重:違う世界で生きるということ
社会人初期の選択:私の「軽」の理由
正直、この「恥ずかしい」という感覚や、「軽はありえない」という価値観は、私にとっては新鮮な驚きでした。
私自身、社会人になって初めて買った車は、新車の軽自動車
でした。
- 最初の車: 大学生時代にもらって乗っていた廃車寸前の軽が、ベルトの異音などで「もう限界だ」と感じ、社会人になって2年目で買い替え。
- 買い替えの現実: 新車で100万円以下(当時の記憶)という、自分の給与レベルでローンを組まずに買える「身の丈」に合った選択でした。
購入時点で200万円の貯金がありましたが、普通車を買うという選択肢は、経済的に現実的ではありませんでした。
- 職場の環境: 働いていたのは準公務員の職場で、男女で給与水準に大きな差はありません。もし私が男性だったとしても、新車で買えるのはやはり軽自動車。
見栄を張って普通車が欲しいなら、中古車しか選択肢はないという状況は同じでした。
私にとって、車は単なる「移動の道具」。
公共交通機関が不便な地域で生活するための、必要最低限のインフラです。
軽自動車であっても移動できれば全く問題ない
、という価値観で生きてきました。
軽自動車に乗る男性への「安心感」と、世間とのズレ
私は、社会人男性が軽自動車に乗っている姿を見ても、ネガティブな感情は抱きません。
むしろ、「堅実で、車に夢を見すぎていない人だ」という「安心感」
すら覚えます。
しかし、世間は違うようです。
多くの人が「ステータス」を求めます。
現代、普通の普通車でも300万円程度はします。
手取り年収400万円程度の人が、1年分の給与の約75%もの価値がある車(しかも維持費は別)を所有している事実を考えると、私はゾッとしてしまうのです。
特に20代でそれなりの普通車に乗っている人を見ると、「それはローンなのか、親に買ってもらったのか?」
と反射的に考えてしまいます。
もちろん中古車という選択肢もありますが、見た目や性能が良い車は年式が新しく、結局は高価になりがちです。
ローンで手取りの何割ものお金を車に注ぎ込むことや、親の援助で身の丈以上の車に乗ることは、私には「身の丈に合わない消費」に映ります。
この「身の丈」への意識の差が、世間との一番大きなズレです。
- 私の考え: 自分の貯金以下の車に乗り、ローンを組まず、維持費も抑えることが堅実。
- 世間の常識(今回感じたこと): 車はステータスであり、身の丈以上に「良い車」に乗ることに価値がある。
ステータス消費の重要性:世の中を回す歯車
かつては「見栄を張ってバカバカしい」
と感じたこともありました。
しかし、今回の気づきで、その感覚は変わりました。
世の中の経済は、この「ステータスを求める消費」によって成り立っていることです。
- もし私のような「必要最低限主義者」ばかりになれば、自動車産業は衰退し、銀行のローン事業も規模が縮小するでしょう。
- 見栄を張り、身の丈以上の消費をする人々がいるからこそ、高額な商品が流通し、経済は活性化します。その消費活動が、回りまわって私たちの生活の豊かさを支えています。
こう考えると、私ができている「普通ではない」貯蓄を維持し、手取りの半分を貯蓄できているのは、むしろ「ステータス消費をする人々」のおかげだと言えます。
活発に経済を動かしてくれている人たちがいるからこそ、私たちは堅実な生活を送れるのだと考えると、素直に「ありがたい」と思います。
価値観の尊重:違う世界で生きるということ
私にとって車は「移動手段」ですが、世の中の多くの人にとって車は「自己表現」であり「ステータス」
のようです。
そして、その価値観こそが「普通」なのかもしれません。
地方に住む私は、その「普通」から逸脱した存在として、時にマウントを取られるような発言をされることもあります。![]()
しかし、私には「いつでも買える貯蓄がある」
という心の余裕があるため、特に悔しいとも思いません。
「あなたは幸せなら、それでいいんじゃない?」
そう思いながら、自分たちは「身の丈に合った」堅実な生活を続けていくこと。これが、価値観の違う世界で生きる私の答えです。
人それぞれに、幸せの定義も、お金の使い方も違います。
世間一般の「普通」と異なる生き方を選ぶことは、時に居心地の悪さを感じる
こともあります。
しかし、自分にとっての「最適解」を見つけることが、結局は一番大切だと思いました。