こんにちは!
夫が新卒で入社したのは、大企業のグループ会社でした。
時代の流れと共に統合や吸収合併を経て、現在では日経225にも名を連ねる大企業に従業員の一人となっています。
彼が過ごした「グループ会社時代」の文化は、今振り返るとまさに“昭和”の体育会系企業そのものでした。
その会社は「完全に男性社会」。
夫の部署に至っては、正社員は全員男性で、女性はパートの方が数名いるだけといいます。福利厚生は手厚い一方で、新入社員は結婚するまで「寮生活」が義務付けられていました。
しかし、その実態は、現在の感覚からは想像を絶するものでした。
目次
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会社行事が「本業」を侵食する異常事態
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ワークライフバランスの欠如と子育て
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昔ながらの「男社会」が生んだ結婚観
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昭和の文化からの脱却
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成功の秘訣は「偏った役割分担」と「信頼」
会社行事が「本業」を侵食する異常事態
その会社で特に力を入れていたのは、毎年恒例の「運動会」でした。
社員だけでなく「家族も参加する」という規模の大きさ。
そして、その準備にかけられる熱量です。
聞けば、運動会のためだけに準備と練習が2ヶ月前からスタートするそうです。
余興的な種目が多かったため、昼休みや勤務時間後にはもちろん、直前になると土日も練習が組まれていました。
もちろん、これらはすべて「無給」。
さらに驚くのは、その準備が本業を侵食していたことです。
運動会直前になると、上司からは
「仕事はもういいから、とりあえず準備に行ってこい」
と指示が出るほど。
運動会に「命をかけている」としか思えないような、激しい企業文化だったそうです。
準備の具体的な内容も凄まじく、家族が来るため、子供向けの景品やお菓子などを安い店まで自転車で買い出しに行かされたりもしていたとか。
まるで、会社全体で一つの「プロのイベント」を運営しているような異常な熱狂ぶりだったと言います。
運動会には、今では考えられないような競技もありました。
「騎馬戦」、「綱引き」、「徒競走」など、一日中プログラムが組まれていました。
「応援団」もあり、その練習が一番大変だったそうです。
これらを完璧にこなすために、新入社員が中心となって、種目の段取りや参加者の配置、さらには人の配置まで考えなければならず、当時の夫は運動会の「幹事」を、部署に後輩が入ってくるまで、数年にわたって担当させられていたそうです。
その大変さは想像を絶します。
運動会以外にも、ソフトボール、バレーボール、バスケットボールなど、球技を中心とした「スポーツ大会」が頻繁に開催されていました。
幸い、夫は球技が得意だったので「まだマシだった」と言いますが、もし私のような運動が苦手な人間だったら、間違いなく入社後すぐに退職を考えたでしょう。
ワークライフバランスの欠如と子育て
このような「運動会至上主義」の会社文化では、現代で重視されるワークライフバランスや、家族のサポートといった概念は希薄でした。
今から14年ほど前、私たちが第一子を出産した頃も、育児休業制度はあっても「取る」という文化は皆無だったようです。
夫は、育児休業的なものを全く取得していません。
たまたま出産日が長期休暇に近かったため、夫は出産への立ち合いはできましたが、それでも会社を休めたのは「2、3日程度」でした。
当時、私は「この会社は、子育てで夫の助けをあてにできる会社ではない」と諦め、実家で暮らして母に全面的にサポートしてもらいました。
夫は仕事で手一杯でしたから、母のサポートがなければ、とても子育ては乗り切れなかったと思います。
夫が当てにならない、という現実を当時は突きつけられました。
昔ながらの「男社会」が生んだ結婚観
さらに、その会社の「男社会」的な価値観は、私達の結婚生活にも影響を及ぼしました。
結婚した当時、私たちが「結婚しても一緒に住まない(私は働き続けるため、まだ実家に住む)」という選択をしたところ、会社の上司からは信じられないような反応が返ってきたそうです。
「結婚したら一緒に住むのが当たり前だろ」
「お前が稼いで、奥さんを養わなきゃいけないだろう」
昔ながらの価値観を強く押し付けられ、「信じられない」という顔をされたそうです。
もちろん、夫は言われても気にしませんでしたが、当時の会社がいかに旧態依然とした考え方を持っていたかを物語るエピソードです。
また、年末の「忘年会」も例外ではありませんでした。
忘年会は決まって「泊まりがけ」で開催され、ここでもまた「余興」を強いられるという、文字通り仕事から解放されない行事が待っていました。
その点、私の会社にはそういった文化が全くなかったので、私は大変恵まれていたと感じています。
もしスポーツ大会などをやらされていたら、絶対に耐えられなかったでしょう。
昭和の文化からの脱却
しかし、このような「体育会系企業文化」も、時代と共に終わりを迎えます。
夫の会社は、約10年ほど前に最初の「統合」を経験し、さらにその約5年後に現在の「日経225の大企業への吸収合併」を果たしました。
最初の統合が行われた時点で、激しかった「レクリエーション的な活動」は徐々に減少し始めました。
出張などで仕事が忙しくなったこともあり、運動会や飲み会の「幹事」は、夫のはやらされることが減っていきました。
そして、最終的に日経225の巨大企業に吸収合併された時点で、運動会、スポーツ大会、泊まりがけの忘年会といった、すべての「昭和の行事」が完全に廃止されました。
夫は当時すでに40代を迎え、体力的な衰えを感じ始めていた頃でしたから、ちょうど良かったのかもしれません。
とはいえ、夫自身は運動が好き(マラソン以外)だったので、若いうちはそうした行事も多少楽しんでいたようですが、それでも幹事の重責からは解放されて、心から「よかった」と思ったそうです。
今、振り返ると、夫が新卒で入った会社は、高度経済成長期から続く「日本型企業」の文化がまだ残っていました。
社内での結束を強め、チームワークを重んじるという良い面もあったのでしょうが、そのために犠牲にする時間と労力がかなりありました。
現代では、そうした過度なレクリエーションは廃れ、個人の時間や多様な働き方、そして家族との時間(育児休暇)が重視される時代になりました。
夫の「グループ会社時代」の経験は、側で聞いている分には、まるで昔のドラマのようで興味深く、面白いなと思いましたが、本人にとっては二度と経験したくない壮絶な日々のようです。