こんにちは!
今回は、第2子の育児休暇中に私が経験した、心と体の変化についてお話ししたいと思います。
第1子の出産時は、子育てがどういうものか分からず、ただただ大変で余裕がありませんでした。しかし、第2子を授かったときは、心にゆとりを持って
出産に臨むことができました。
第2子が生まれてからも、その愛おしさを最初から感じることができ、心穏やかに子育ての日々を過ごしていました。第1子も第2子も同じように、1年半の育休を取りました。
目次
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第1子の発達をめぐる指摘
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保育園からの指摘と私の違和感
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専門機関での検査
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夫の無関心と募るストレス
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意識を失ったあの日
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心の病気と向き合う
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私を支えてくれたもの
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回復への道
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療育という選択肢、そして診断結果
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9年経った今
第1子の発達をめぐる指摘
第2子と第1子は3歳差です。
第1子は1歳半の頃から保育園に通っていたのですが、市の3歳児健診の際に検査でできないことがありました。その時は「今日たまたまできなかったのかもしれないので、また2〜3か月後に確認しますね」と言われました。
2〜3か月後に再度確認されたときにはできるようになっていたため、特に問題はないと判断されました。
当時の私は、他のお子さんと第1子を比べることもなかったので、第1子が普通なのかどうかもよく分からず、子育てで困ったこともなかったので、特に気に留めていませんでした。
保育園からの指摘と私の違和感
ところが、第1子が3歳半くらいの頃、保育園の先生から「園での生活で困っているようです」とのお話がありました。
具体的には、防災訓練など、普段と違う出来事が起きた時にひどく泣きわめいてしまう
、というものでした。大人でも普段と違うことが起きるとストレスを感じることがあるので、そういうこともあるのかな、と当時は思っていました。
しかし、その後「一度、園に来てお話がしたい」と言われ、保育園を訪ねました。
先生からは「いつもと違うことがあると泣いてしまい、周りと同じことができない」というお話でした。
そして「家での様子はどうですか?」と聞かれました。
家では特に困っていることはなかったので、そのことを先生に伝えたのですが、「何かあるはずだ」と、まるで私に問題があるかのように問い詰められているような感覚に陥りました。
私は戸惑いながらも、区役所の保健所などで相談するように促され、その通りに連絡を取りました。
専門機関での検査
保健所を通して、県の専門機関で田中ビネー知能検査を受けました。その後、市民病院で専門の先生の診察を受けました。
検査結果は、平均よりも低く、IQは80くらいでした。
精神年齢が半年から1年ほど低いとのことでしたが、できることとできないことの差はあまりなく、全体的に少しずつ苦手なことがある、という感じでした。
専門の先生からは、とりあえず2〜3か月おきに病院に通うように言われました。
夫の無関心と募るストレス
家族は「特に問題があるようには見えないのに、何を言っているんだ」という反応でした。そして「母親の子供に対する接し方が悪いのではないか」と私を責めるようになりました。
夫にそのことを話しても、「ふーん」と無関心な態度
をとられました。
誰にも理解してもらえない、問題がないことを問題だと言われているようなストレスを日々感じていました。
意識を失ったあの日
夏、ストレスが限界に達していたころのことです。
生後1年ほどでまだ授乳が必要だった第2子を連れ、ひどく暑い日にショッピングモールを訪れたときでした。突然目の前がモノクロになり、意識を失って倒れてしまいました。![]()
過去に徹夜明けの過呼吸で倒れた経験がありましたが、今回は全く違う感覚でした。気づけば救急車で運ばれていました。
後日、改めて病院で検査を受けましたが、体に異常は見つかりません。しかし、この出来事がきっかけで運転すらできなくなってしまったのです。
検査のために病院へ向かう車の中で、私は過呼吸を起こし、途中で車を止めて休むほど不安定になっていました。
心の病気と向き合う
結局、検査では何も異常がないと診断されました。私はその時初めて、これが精神的なものだと気づきました。![]()
夏の暑さ、授乳、そして何よりも第1子の件で感じていたストレスが重なったのだと思います。
倒れてから、外出するのが怖くなり、スーパーへの買い物すら自転車で行くのも一苦労でした。
過呼吸が癖のようになってしまい、スーパーの中で買い物をするのも怖くて、ベンチで休んでから一気に済ませていました。
精神科を受診すべきだったかもしれませんが、授乳中だったこともあり、薬を飲むことにためらいがありました。
どうしたらいいか分からないまま、毎日をなんとか乗り切っていました。
私を支えてくれたもの
そんな日々の中で、不安になると私は心の中で「今を生きる」と繰り返していました。そうすることで、一歩ずつ前に進む気持ちになれました。
そして、私を支えてくれたのは、2人の子供たちでした。この子たちを育てるために頑張らなくては、という責任感。そして、不安定で横になっていたときに、第1子が「お母さん大丈夫?」と優しく手を握ってくれた
ことです。
保育園や両親に何を言われても、結局は自分自身が動けないので、もう何も考えないようにしました。
とにかく、私にできる限りの子育てをしよう、と決めたのです。
回復への道
そうやって過ごしているうちに、倒れてから3か月ほど経った頃から、少しずつ体調が戻ってきました。スーパーに買い物に行っても不安になることが減り、車の運転もできるようになってきました。
そしてさらに3か月後、予定通り仕事に復帰することができました。
復帰後、片道1時間半かけての通勤は大変でしたが、特に不安だった電車での移動もなんとかこなせるようになりました。
療育という選択肢、そして診断結果
第1子は、保育園からは療育を勧められましたが、当時の私の精神状態では、送り迎えをすることもままならず、断念しました。
しかし、2〜3か月に一度の病院通いは続けました。専門の先生は「成長はゆっくりだが、確実に成長している。本人は困っている様子もないし、友人関係も問題ない」とおっしゃってくださいました。
結果的に、2年ほど通院したところで「この2年間で成長している。本人も困っていないので、これで終わりにしましょう。もし小学校で何かトラブルがあったら、また相談してください」と診断が下りました。
9年経った今
倒れてから9年が経ち、現在でも家族以外の人とは外食ができません。食事が出ると「これを一人で食べられるのか」というプレッシャーで動悸がして、食べられなくなってしまいます。
どうしても付き合いで食事をするときは、サラダやなるべく量が少ないもの、出された食事は半分までと決めています。
倒れる前までは、食事を残すなんてありえない!!と思っていました。残すことに罪悪感があるので、外食は極力したくないです。
また、職場では食事をすると気持ち悪くなるため、水しか飲めなくなりました。
家族と一緒なら、残したものを食べてもらえるという安心感から少しは食べられるのですが、一人では喫茶店で飲み物を飲むのがやっとです。
この経験は、健康でいること、そして心のバランスを保つことの重要性を改めて教えてくれました。