30年前の今日 | fire-windのブログ

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たぶん、そんなにブログアップしないです(苦笑)

当時神戸市郊外の社員寮に住んでいました。

地震発生時刻は多くの人と同じく布団で眠りのなか。


震源とされている淡路島北端部からは直線距離ではじつはかなり近い場所なのですが断層が走っていた方向は淡路島北端部から東方向の神戸市〜阪神地域の南部海沿いでした。


そのため住んでいた地域は揺れこそ大きかったけど(でも多分、断層が走っている地域の揺れと比べたら少なかったのだろうと思います)建物倒壊などの甚大被害を受けなかった地域でした。


地震発生した瞬間は遠くのほうの地面の下から「ゴンッ!」という強い衝撃が寝ている背中に伝わってきて、そこから「カタカタ」とした揺れが2,3秒あり布団の中で「あ、地震だ」とわかりました。


この時点では「ちょっとした揺れだろう」とたかをくくっていましたがその直後の経験したことのない揺れが襲ってきたときは布団を頭から被って丸くなることしかできませんでした。


縦揺れと横揺れが複合した経験したことのない震度でした。


布団の中で「この揺れ、いつまで続くんだ〜!」と数分にも感じた激しい揺れは実際は15秒間と言われています。


その社員寮の部屋の建具はすべて造り付けだったので家具の室内倒壊がなかったのが幸いしました。


造り付け本棚のものやテレビスペースにあったテレビは床に落ちて散らばり、幸いにもテレビ(当時は液晶ではなくブラウン管)は割れることなく済みました。


建物も建築後間もない新しい鉄筋コンクリート造だったため建築構造的にも大きな被害はありませんでした。


自分が住んでいる地域は建物倒壊も火災もなく、一時的な停電くらいだったので地震発生してからしばらく、神戸や阪神エリアの情報がニュースに出てくるまでは神戸市中心部が壊滅被害ということがわかりませんでした。


社員寮ロビーに入寮者がゾロゾロと集まり「今日会社には行ったほうが良いのかな」「電車動いてるのか」などのんびりした空気でした。


テレビニュースつけても大阪、和歌山などの震度速報ばかりでそこにいる皆が「あっちのほうが震源か。それにしてもけっこう揺れたな」という言葉が漏れていました。


でもどこの局だったか、ヘリからの神戸市市街地映像・・・阪神高速道路3号神戸線の倒壊、長田区の火災の様子・・・がテレビで流れ始めてきて、「これは神戸が大被害受けてるんじゃないか?神戸・阪神があまりにも大被害のためにこのエリアの震度速報すらテレビ局に流れてないからなんじゃないか?」とわかりました。


その時点でテレビ画面横や下方に表示されていた被災犠牲者情報は死者数人でした。


最初に思ったのは「あれほどの被害なのに死者がそんなに少なくて済んだのは奇跡かも」。


でもそれは間違いで救助活動もまだ本格的に立ち上がっていない状況では正確な死者数すら集計できない状態だったのです。


そこから少ししてからテレビ画面に表示される死者数がカウンターのように数分ごとに人数増え始めていきました。


山の向こうになる神戸市中心部方向の空を見ると黒い煙が上がっているのが見えました。


あの煙の下はテレビ映像で見た大火災なのです。


停電も17日午前中には復旧しました。


社員寮の近くには広域中核医療センターがあるため関西電力が優先的にその配電系統の停電復旧したことによりこの社員寮も同じ配電系統のためその恩恵をうけたという話がありました。


それに、関西電力の復旧作業チームが駆けつけることができる状況の地域だったことも要因だったのでしょう。


社員寮は断水もしておらず、17日その日も大浴場は入浴できました。


ただし、社員寮食堂の夕食はその日は何も準備できなかったと記憶しています。


寮食堂の調理員の人たちも出勤してこれなかったですから。


その日は何を食べて過ごしたかはっきりと覚えてないのですが自室冷蔵庫の中のものやカップ麺でやり過ごしたと思います。


それでもテレビにずっと流れている神戸市中心部の惨状と比べるとずっと恵まれた状況です。


地震発生当日は1日社員寮建物から外には出なかったと記憶しています。


ほとんど自室で震災テレビ映像をずっとみていて、ときどき同じ寮に住んでいる同僚と「これから会社、仕事どうなるんだろう」みたいな会話をしたくらいでした。


3日前の土曜日夜は神戸市中心部の三宮に飲食に出かけていましたが、行ってきた三宮のあたりも3日前の風景はもう無いことは想像できました。


地震発生直後には他県実家に無事を伝える電話は繋がったけど、それ以降は電話が繋がりにくくなっていました。

この当時はまだ携帯電話普及前なので電話といえば固定電話か公衆電話で、このときは公衆電話を優先的に回線接続しつながりやすくしたと聞きました。


ユーティリティが断たれることなく風呂も電気も水も使えていたので激甚被災地域の人たちには申し訳ないと思いながらも寮内浴場で入浴し、自室でもエアコンで暖をとり、その日を過ごしました。


10kmほどの距離がこれほどの状況の差を分けました。


ただ、やっぱりその日の夜はこわかったです。

余震、もしかしたらこれから本震くるかも・・・が夜きたらどうするべきかと。。。


それでも昨日と変わらず、自分の部屋の布団で暖かく眠れることに感謝してなんとか眠りにつきました


30年前の1月17日はそんな1日を過ごしました。


1/17に阪神淡路大震災のことをアメブロ記事に書いたことは今までありませんでした。


神戸に住んでいて震災経験したけど被害が少なくケガもなく衣食住も危機的ではなく比較的恵まれた状況にあり、同じ神戸市内の激甚被災地域の人たちに比べれば自分も「被災者」と声だかに言うべきじゃないと思っていました。


でもあの日から30年の今日はあの日のことを自身備忘録としてブログに残しておきたいと思います。