Rが入院した時の覚書き。
1月13日の金曜日の夜中(正確には14日土曜日の朝方)にRが軽い心筋梗塞で緊急入院して応急処置の手術を受けました。
翌月曜日の午後に退院し、現在は回復に向かっておりますが、ドクターからは4週間の自宅療養後、再度病院へ訪問してスキャンを受けてから仕事復帰という達しが出ているので現在は家でのんびりしています。
食事や健康にも人一倍気を使っていて、病気などしたことがないRだけに本人だけではなく、子供たち、兄弟姉妹、お義母さんたちが大変ショックを受けていてました。
事のいきさつは、金曜日の夕方、私はお隣のクリスティン宅へRが仕事から帰宅する前にお邪魔をして二人でケーキを作って楽しんでおりました。
そしてこの夜は、長男とガールフレンドが遊びに来ていて、翌14日の土曜日は四男の17歳の誕生日なので、我が家に集まって誕生日祝いをしなきゃねなどと計画を立てておりました。そんな中、電話も無しに四男とガールフレンドがひょっこり遊びにきました。(めったな用事もない限り来ないし連絡もしてこないのに…。)
普通にワイワイテレビを見ながら談笑して全員帰宅し、床に着く直前の12時ぐらいになぜかRが私に「もしも僕が仕事中や留守中に、Tに(私の名前)何か問題が起きたら、999に電話するんだよ。イギリスは991じゃなく999だからね。」と言って昨年使用していたカレンダーにマジックで書き始めました。私は「知ってるよー。前にも教えてくれたじゃない!」と答えたのですが、この2時間後、Rが自分で999に電話をするだなんて夢にも思いませんでした。
12時ぐらい床についたのですが、私はなぜか寝れず、何度も寝返りを打っていたら、Rも眠れなかったらしく何度も動いていました。そのうちRのお腹がすごい音でグーグーなっていて(この夜、Rは食欲がなく夜ごはんを取らなかったのです)「お腹すいているの?」と尋ねましたが「大丈夫」とRは答え、眠る努力をしていましたが、急に上体をお越し、気分が悪くなったのか何かこらえてる様子でした。
心配で「どうしたの?」と尋ねたら、両方の顔の顎(エラ)あたりが急に締め付けられるほどの痛みを感じはじめ、そのうち胸の方も徐々に痛みを覚えてきたらしく、「心臓に蝶々が飛んでいるような不思議な感覚があって気持ち悪い…。999を呼ぶから、パニックにならないでね」と私に告げました。本当は相当苦しかったのでしょうけど、私に気を遣って冷静な行動を必死に取っていたのだと思います。(号泣)
999に電話をして5分も経たないうちに救急車が到着しました。この時、夜中の2時5分。あまりの到着の速さに驚いてしまいました。男女ペアの救急隊員が家に入ってRに少しだけヒアリングした後、家の空き地に止めてくれた救急車に乗り込みました。まさかこのまま入院するとは思っていなかったので、コートを羽織り、携帯と財布だけは持参しました。
救急車の中は割と広く、Rはストレッチャー付のベッドに座り、私は後ろの扉の補助椅子のようなところに座るよう指示されました。なのでRの後ろ姿しかみることができない状態です。
救急車に乗り込んだ後、救急隊員たちが血圧や心臓などの計測器でチェックし、すぐに注射と白い錠剤をRに服用させ、再び心臓や血圧などの計測を行いました。救急隊員たちがお互い目を合わせて「おかしいよね?」みたいな目くばせをしていたので私も一瞬不安になりましたがすぐに隊員がどこかへ連絡をとりあっていました。そして「これから救急病院へ搬送し、専門医に診ていただくことになります」という説明を受け、救急車はそのままどこかへ走りだしました。
きっとダラムの一番近場の救急センターだろう…、だとしたら長くても20分以内で着くだろうなと思っておりました。(うちの近辺は車だと、たいがい30分以内で着きます。)しかしながら40分以上過ぎてもまだ到着しないので一体どこへ行くのだろうかとわからないまま身を任せておりました。
救急車の中では数十秒間隔で自動的にRの状態が最新機器によって記録されレシートのような紙に延々と記録が流れ出ておりました。Rは苦しいながらも救急隊員たちと会話をしたり、こんな時なのに携帯の待ち受けにしている日本で撮った和装のウェディングフォトを見せびらかしていました。(笑)
女性の救急隊員が私が座っている席の壁側からポータブル端末機を取出したのですが(てっきりiPadと思っておりましたが)、よくよく見たらパナソニックでした。(ここにも日本製!)型式からしてレッツノートっぽいなーと思いながら眺めていました。(笑)データを入力した後、おそらく搬送先の病院にRの個人データなどを飛ばしていたのだと思います。渡英前に努めていた会社の取引先が大手アメリカのエレベータ会社でやはりパナソニックの携帯端末を使っていて、赤外線システムでエレベータの点検などしていたのでこういう通信業務にはパナソニックさん結構強いんだなーと感心してしまいました。
そして2時50分頃病院へ到着。Rはオペ室に運ばれ、私は深夜の暗い待合室に案内され「ここで待っていてください」と看護師に言われ状況もつかめないまま、結局何もできずただ周囲の人たちが慌ただしく動く姿だけしか見ることができませんでした。
一人でぼんやりしていたところ、看護師さんが「紅茶はいかがですか?」と親切に声をかけてくださいました。そして「今、ドクターが診ておりますので何かわかり次第お知らせします。」と告げて去っていきました。この夜は特別寒さがぶり返したのでこの一杯の紅茶が本当に温かくて身に染みました。時計は3時3分。
紅茶を飲みながら掲示板に目を向けたら、ここは、大学病院のCCU(心臓血管疾患集中治療部)なのだということを知ったのでした。でもどこの街に連れてこられたのかもまだわかりませんでした。(笑)
4時37分。看護師さんにRがいる部屋へ案内されました。この時まで一切Rの状況がどういうことになっているのかわからなかったので、ハートアタックで手術を受けていたことも、数日入院することもこの時すべて初めて知らされたのでした。
手首からカテーテルを通しての手術ということで、手首を見ると血がにじんで痛々しかったです。
通常であれば、妻の私でさえも完全に付き添いはダメらしいのですが、夜中の緊急搬送ということでこの時だけは特別に居させてもらうことができました。
初めてRの状況を知らされて、ショックのあまり言葉にでませんでしたが、至って無事でよかったとRの元気な顔をみて安心した途端、泣けてきましたが、相部屋だったので必死に涙をこらえていました。
Rのせいでも何でもないのに、Rはひたすらごめんごめんと謝っていました。
この時すでに朝の4時37分。救急車を呼んで、搬送され、手術を追えるまでにたったの2時間でした。すごい。
この時ばかりは、イギリスの医療のすごさを目の当たりにし、頭が下がる思いでした。
CCUだけあって1台のベッドにはあらゆる最新の機器が備えつけられていました。
安心したとともに、二人とも寝つけなかったで、術後間もないというのにバシャバシャ記念撮影会をしていました。(笑)
ここの病院は、ミドルズブラという街にあるジェームス・クック大学病院(Middlesbrough Council James Cook University Hospital)の中の救急病棟だということをRから教えてもらいました。
ミドルズブラやキャプテンクックの出生地として有名な場所なのだそうです。
Rもだんだん調子にのってちょっとまってとポーズをとったりなんかしてました。
イギリス在住の方ならご存知だと思うのですが、Pickup TVでBrit Cop とかNight copなどと言った日本で言うならば日本警察24時とか救急病棟24時とかのようなドキュメンタリー番組でこのジェームス・クックの大学病院でヘリで搬送される場面とかたまにみかけますが、まさにその病院だったのでした。
とにかく巨大病院で一般ビジターの駐車場から病院へ着くまでかなり歩きます。
日本の病院と違ってコーヒー紅茶どっちがいい?と気軽に尋ねてくれるので驚きでした。日本だとお茶か水って感じですよね。
朝の8時。ヘルパーさんが朝食は何がいいかオーダーを取りに来ました。これまた日本の病院食と違い、ベーコンは?目玉焼きは?サンドイッチにする?なんて患者が好きなものを選べるだなんてとびっくりしました。Rは通常朝は食べないのですがさすがに病院にいるのでトーストとコーヒーだけ頂いてました。
ほんとはダメなのだけど、付き添いの私の分も特別いただいてしまいました。こんな何でもないトーストとコーヒーだけでも格別においしいと思ったことはありませんでした。
朝食の後、まずは長男に現状報告のテキストメールを送ったところ、何を冗談いっているんだ!とすぐに電話が入ったのですが、ハートアタックで入院したと聞いて、長男は涙ぐんでおりました。
そして、お昼過ぎに長男がすぐにお見舞いに駆けつけてくれました。
13時から15時までは面会ができないので、着の身着のままで搬送されてきたこともあって長男に私だけ家まで送ってもらい、面会時間が再会されるのは15時から20時までなので、17時にまた長男に迎えに来てもらって再び車で大学病院へむかいました。
イギリスの高速道路は日本と違って電気もついてなく真っ暗闇の中を走ることが多いのですが、ミドルズブラ周辺の高速道路は街灯もたくさんついていて立体交差になっており、日本の高速道路に近く、久々に近代的なものを見たーっていう気になりました。(笑)イギリスは街灯が少ないので、LEDでもいいので街灯を増やしたらいいのになーって思うけれど、国の予算もないだろうし無理だろうな。
普段は薬なんてほとんど飲んだことがなかったし、むしろ薬とういうものが嫌いな人なのに心臓発作のおかげでこんなにたくさん薬を服用する羽目になるとは…。
ドクターからもきつくタバコは止めるよう言われているので、Rもタバコは止めましたが、今もニコチンの発作に苦しんでニコレットのパイプ式のものを加えています。
深夜の病室でRとぼそぼそと話をしている時に、Rが「発作が起きた時に時分の選択肢は2つあった。1つはこのまま死を選択するか、生き残るか。僕はせっかく千年ぶりに私と出会うことができたので、私と再びこの世で生きる道を選んだんだ」と教えてくれました。
あと長男と再び病院にむかった時に長男が知らせてくれたのだけど、末っ子が、フェイスブックで「Daddy has a heart attack!」とだけ書き込んでしまったおかげで、末っ子のフェイスブックのアカウントにつながっているRの兄弟、姉妹に親戚にいろんな人たちあっという間に広まって、みんな大パニックになっていたそうです。すぐさま長男の元にRの弟やら妹やらから電話があって長男もお見舞いにくる前の話だったので状況も知らずのままだったのでRのお母さんまでもがぱにっくになってえらい大騒ぎになっていたようです。
Rは長男にしか知らせておらず落ち着いたらみんなに連絡するはずだったのに、このフェイスブックの何気ないひとことでびっくり仰天で、よく芸能人がツイッターでも何気ない一言が波紋を起こすのと同じで、ちゃんと書くなら責任もって詳細までかかないといい加減な一言からえらい迷惑をかけてしまうことがあるので、便利でもあるけれど怖いツールだなと思いました。RはフェイスブックもツイッターもSNS系のツールは嫌いなので末っ子には呆れておりました。
月曜日の午後は次男坊がお嫁ちゃんとリリーちゃんを連れて退院の為に迎えにいってくれました。お医者様から診断書やらリハビリのプログラム表なんかを持ち帰ってきて、4週間の自宅静養を命じられ、2週間は車の運転と外出の禁止が出ていたのでずっと二人で家にこもりきりでした。
退院後は、毎日のように入れ替わり立ち代わり、Rの妹たち、弟たち、お母さん、息子たちが尋ねてきてくれたので、買い物はなんとか事足りました。身内以外にもご近所さんやら同僚やらお見舞いに来てくれるのである意味忙しくて、結構疲れてしまいました。
カード社会のイギリス。こういう病気見舞い用のカードも用意されていて、励ましのカードもいっぱいもらいました。
Rの心臓発作のおかげである意味、死の瀬戸際を身近に感じたRは、あれは味わったことのないひとにしかわからない感覚だと思うけど、苦しみ出した瞬間、走馬灯のようにあれこれいろんなことを一瞬にして考えたと言っていました。
本当に無事でよかったと今では心の底からそう思えます。
再び生きるチャンスをもらったので、日々を大切に過ごしていきたいとますます思えるようになりました。