話しは変わり、数日前のこと。旅行中は猫たちの世話を母親にお願いしていたので、母親からアメリカ行きの日が近づいてきたのもあり、電話がかかってきたわけなのですが、猫の世話の話しをする前に、
母親が「アメリカに行く前に、誰と一緒に行くのか、どこに泊まるのか、行く時間、帰ってくる時間、行く先々の電話番号、友達の連絡先、すべて書いていきなさい!」と私に言ってきたのです。
普段、私は汚い言葉遣いとかは嫌いなので使わないのですが、どうしても親に束縛されるような行為を取られたり、命令口調になると、頭に血がのぼってしまうのです。当然ながらそこで私は母親にむかって暴言を吐いてしまいました。
「ガキじゃないんだから、いちいちそんなこと聞くんじゃねーよ。いくら心配しても、死ぬときは死ぬし、誰にも予測できないことなんだから余計な詮索すんなよ。もうウンザリ。ほんとウンザリ。かんべんしてよ。そんなんで電話してくんなよ!」 って思いっきり電話を切ってしまったのです。
親としては、飛行機事故があったら、物騒な外国で何か事件に巻き込まれたらとかもうネガティブなことばかり考えてしまうのでしょうし、当然ながら子供を心配しない親はいませんので、心配してくれるのはありがたいんだけど、どうしてもだめなんです。
私は今でこそ自由奔放ですが、昔の両親はとても厳しい人で、私は小、中、高校と常に監視、束縛、拘束され続けていました。とくに高校になるとそれはエスカレートを増して、日記なんて見られてるのはあたり前だし、化粧品や(たばこも)ちょっとしたものでもすぐ没収され、買っては隠され買っては隠されといったような繰り返しを続けていました。
友達のうちへ堂々と泊まることなんて高校卒業するまでありえなく、小学校の時は、日曜日も遊びに出た記憶もありません。いつもいつも勉強勉強とクチヤカマシク言われ続けたおかげで、勉強をしているフリをしてじつわなーんにも勉強なんてしていませんでした。隠れて漫画を描いたり、いつか自由に遊んで、ノビノビしている自分の姿を描き続けるといったような、想像の中に身を置き、だいたいは空想の世界にいつも入りこんでいました。
高校になると、いとこがうちの近所に下宿をしてきたので、親戚なら親の目をごまかせると悪知恵が働き、いとこのうちに泊まりに行くフリをして友達の家に泊まりにいったり、飲みに行ったり(高校生ですが…)、踊りに行ったりしていました。嘘がばれないよう、同じ年のいとこも一緒に夜遊をしていました。
自分の意見は一切言うことができない環境にいたので、一人暮らしがどれだけすばらしいか、、今でもそのトラウマは消えず、両親は近くに住んでいるというのに、正直一緒に住みたいとは思えないのです。あっ、誤解されそうですが、もちろん親とは仲良くやっていますし、大事にしていますし、大尊敬しおりますが、時折こういうことがふっと現れてしまうのです。
中学、高校はとくに母親にはひどい言葉づかいだったので、案の定、その当時のそっくりそのままの自分に戻ってしまい、あの当時の口調になっていました。自分でも驚きましたが。何十年経っても許してない、親のことも…。 自分のことも…。
その後はちゃんと仲直りしましたけど、旅行前に後味の悪いことをしてしまいました。
今回、セドナに行く目的は自分の中のトラウマと決別するために意味があるのだと確信しています。
今年は実に不思議な年で、ある日、ぜんぜん自分とは無縁だった人と出会ったがことがきっかけで、なぜか不思議とその人と出会ったが為に、過去世の古傷がよみがえり、私自身思いあたる理由など何もないのですが、地の果てまで心が落ちていき、精神的につらくてつらくて耐えられない日々が続いておりました。(数ヶ月ブログをお休みしていた時期です)
相手に何かされたわけでもないのに、なぜか相手を通して自分自身で過去の古傷を記憶から呼び覚ましてしまい、数ヶ月も落ち込んで、しばらく立ち直れない状況に陥ったり、そして数日前、現実に覚えている、幼少期のトラウマを掘り起こされ、今年は内観の年でもあるような気がします。インナーチャイルドと向き合う為の旅なのだと感じています。
私の尊敬している人から、今年は「自立」ではなく「自律」の年だと教えられました。すごく深い意味があり、なるほどと思ってしまいました。「自律」をするためにもセドナに呼ばれている。意味があるからセドナに行く。去年でも来年でもなく、「今」なんだ。このタイミングで行かなければならないのだとまさに出発前夜に強く感じています。
また帰国したらいろんなことをご報告できると思います。
早くうちに帰りたい。パッキンぐーしたいよぉ。 帰らせてくれ。