(一社)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原朱美です。
今日のテーマは
「【岩手紀行3】平泉、中尊寺金色堂、そして奥州藤原氏」です。
岩手の最終日、午前の岩手教組養護教員部学習会の仕事を終えて
向かうは、平泉!
平泉・・・中尊寺金色堂
ずっとあこがれていた場所です。
奥州藤原氏、平泉という響きがなぜかすごく
自分の心に響いていて、いつか行きたいって思っていた場所です。
昨年、「鎌倉殿の13人」を見たこともあり、さらにその想いが強くなっていました。
奥州藤原氏がこの大河ドラマで出てくるのはほんの数回です。
それでも、ものすごく惹かれていたのです。
帰りの飛行機が16時半だったので、わずかな時間でしたが
チーム岩手のとこちゃんとめんこちゃんと3人で、いざ平泉へ!
まずは腹ごしらえ!
おなかも、満足!
中尊寺に向かいます。
案内をしてくださったのは、4日にお世話になった粟野健次郎顕彰会のH山さん。
最後の最後まで、しっかりお世話になりました。
H山さんは、中尊寺とのご縁も深い方で、藤原氏のことやこの中尊寺のこと、金色堂のことを
詳しくお話してくれました。
金色堂って、そうなんだ。
奥州藤原氏の方々のご遺体が安置されていて、それを極楽浄土として表現したものなのですね。
今は新しい建物の中に、金色堂はありますが、この写真は、かつて500年間金色堂を守っていた建物です。この建築物、実際に見ると圧倒される何かがありました。すごい!の一言!
中をのぞくと感動します。歴史だけでなく、想いを感じました。
かつては、平泉は京都に次ぐ第二の都市だったとか。豊富な砂金も取れ、栄華を誇った時代がありました。それにおごることなく、平泉を極楽浄土の地とするために、たくさんのお寺を建立し集めたものが中尊寺。(本堂はありますが、中尊寺というお寺ではなく、そのお寺の総称だそうです)
その中で感動したのは、梵鐘の話。
中尊寺の鐘楼には、1343年(康永2年)には盤渉調(ばんしきちょう)と呼ばれる梵鐘が納められています。 |
そして、この中尊寺自体が、戦に苦しんだ奥州藤原氏が、「戦いは勝っても負けても恨みが残るだけ」と、この鐘の音を耳にする生きとし生けるもの敵も味方もなく、その苦しみが消えるという願いを込めて作られたそうです。
近年では、9.11のテロと3.11の東北の震災の2度、この鐘を鳴らし、犠牲者の鎮魂と魂の癒しをされたそうです。
奥州藤原氏の願いが今に引き継がれていることを感じました。
松尾芭蕉もこの地を訪れていますね
最後は、3人でパチリ!
H山さん、お忙しい時間を、うるさいおばさん3人組にお付き合いいただき、
本当に本当にありがとうございました!!
18:00 無事に名古屋空港に到着しました!
もちろん、20時からの大河ドラマ「どうする!家康」に間に合いました!
東北の皆さん、本当にありがとうございました!
岩手教組養護教員部の学習会の様子は、後日、皆さんの感想とともにご紹介します!
ここでも大笑いで楽しい時間でした。
どうぞお楽しみに
それでは
今日も素敵な1日を!
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