フィりピンからの電話 | 途中下車前途有効 Ameba Version

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「今つきました。シニガン(sinigang)にありつきましたよ」、例年どおり、I君から国際電話が入ってきた。

  「ご苦労さん、シニガンはヒポン?」「そうです、バグオンも旨いですよ♪」、電話口からは少し甲高い元気な声が続いていた。

 彼は未だ30代、大卒間際の22歳の時に現地で会議があり、一緒に同行させたときから彼のフィリピン行きは毎年続くことになった。

 会議は、バギオ(比国の高地・軽井沢と同じくらいの気温)で行われたが、その折、「そこのキャンプジョン・ヘイで山下奉文(大将)が降伏文書に署名したんだね」、と語り、しばらく激しい戦地のことどもについて話した。

     ベンゲット・ロードからサンフェルナンド

 せっかくバギオ(下・写真)にいるんだから、今日のゴルフは止めて第二次世界大戦の激戦地の爪あと、(51万8千人ともいわれる)日本軍のさまよった場所をこの目で見ておきたいあな、という話になった。

「こう思うのも何かが、そうしろ、と言っているのかも知れない」、ということから、現地の戦地に詳しいドライバーのタクシーを借り切り、日本軍が死に物狂いで作ったと聞く高低の厳しい、ベンゲット・ロードをサンフェルナンドラウニオンまで行く事になった。

   おびただしい軍票

 途中、ドライバーから「 dogtagを見るか?:と聞かれた。「You mean ・・・ identificationbadge ?」と聞くと「そうだ」、という。軍人手帳を携行していたことは知っているが、日本の軍人が認識票を身に着けていたんだろうか・・・・、と考えた。が、とりあえず、見せてもらった。さびきった日本刀、そして数百とも思われる認識票が無造作に我々の前に置かれた。このあと、「これを買うか?」といった話も出てくるのだが、長くなるので本題を進める。

      サンフェルナンド・ラ・ウニオン


 

 目的地、サンフェルナンド・ラ・ウニオンについた。海どこまでも澄み切り、風光明媚で、ここで戦闘があったことなど想像もつかないような環境だった。

 それから、地元の市長などに紹介され、ここでも日本軍のことに詳しい古老らを紹介された。

 カヌーを出して、海をしばらくいけば未だ引き上げられていない日本の船、遺骨も沢山ある。などの話から、今度は、日本兵の頭蓋骨の陳列されている個人宅、水筒、錆びたヘルメットなどを隠し持っている家に案内してくれた。

 I君の決意

 短期間の行程だったが、この小旅行はI君の人生を大きく変えることになった。


 爾来、毎年有給休暇を目いっぱい使って、今年まで一年も休まずに、ルソンから、ビサヤ、ミンダナオまで足を踏み入れ戦跡のあとから、遺骨の残存数、場所などを記録して歩いているのだ。

 纏まったら、厚生(労働)省に持ち込み、一挙に日本に帰らせてやりたい、という一心で。
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関連:川嶋恒夫「「戦争体験シリーズ」1、生きている間にこの手記を  
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フィリピン捕虜収容所にて  
                       3、 
千早陣地の構築  
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五十八年目の回想  
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