家の改修は遅れてます。

あっちコッチに荷物の移動。

そんな時に末娘の引越し。彦根の実家に戻って来ました。

合間には嫁の実家の清掃整理。いわゆるゴミ屋敷化してしまってます。

嫁は実家の三人の世話係。介護介助に私も手伝ってます。

介護介助をしながら、人生っていろいろあるんだと実感。

私の母は福岡で一人暮らし。母には何も出来てはいません。

ストレス太りで私もやばくなりました。

基本P(oyo)〜nと過ごしているから、かな。


これから改修は外壁外回りを残すだけ。

相変わらず家事も手伝ってます。当たり前。

( ・∇・)

人間、家族とは何かを考えさせられる。自分の過去には囚われたくないけれど、未来を見つめて行くには、今を大切にしたい。過去は確かに引きづられてしまいます。

美術教室も細々続いてますが、去年からコラボ作品のお話があって、先送りの現実。なんとかチャレンジしたい。

生徒さんたちは頑張ってきていただいてます。私の中の大きな支えでもあります。

ファミレスの深夜アルバイトも一年も続かず、胆嚢摘出手術をしてあれから半年過ぎました。

バタバタ過ごしながら、教室の整理整頓が追いつかず、先送り状態。なんとか気合い入れて参ります。生徒さんたちのためにもね。


マイペースなのでいろんな方々にご迷惑かけて申し訳ありません。でも頑張りますよ。
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私の母親は故郷で自治体からのお世話になっています。自分では何も出来ないでいます。

母親はいつも笑顔でいようと頑張って来ました。波乱の人生ですが...。

私の父親はもうこの世にはいません。とんでもない父親でした。呑んだくれで暴力が出て、おまけにネグレクト。当然離婚。

親戚から、父の危篤の連絡が来ましたが、会いに行く事はしませんでした。その夜、息を引き取りました。葬式も行きませんでした。が、亡くなって一週間後に夢に現れました。

裸ん坊で、子供のようになって、笑顔で階段を上って行く夢でした。

それから10数年経ちました。

いろんなことがありましたよね。私も自分ととことん向き合う人生でしたよ。特に2003年に美術教室の名前をファインリーブスに変えてからはね。

私は何者か?

もう一度生まれ変わるには?

愛とは何か?

事件、事故、病気......

私は家庭を持って、五人の子供に恵まれながらも、離婚。そして上二人との生活。長女とのぶつかりを経過し、シングルファーザーを決意し、長女とは仲直り。

程なく、復縁しました。それで上二人とは別れて、下三人の子供たちと嫁と暮らし始めました。それから今に至るまで五年。

その間、三番目の子も四番目の子も独立。今は末っ子のダウン症の息子と嫁の三人暮らし。

人生を振り返るにはまだまだだけど、母と子の絆は大事ですね。

心の傷と向き合い、障がいと向き合う人生です。

美術教室を再開して四年過ぎました。いろんな方と出会いましたが、別れもありました。続けて来て下さる生徒さんには感謝です。

でも、いつも心に残るのは、私の至らなさもあり、やめられたり、休まれたりされた生徒さんたち。

また、節目節目で出会った方々。

愛されたい、愛したい。

必要に思われたい。役に立ちたい。

人世。

自然に見守られながら、ここまで来ましたよ。


分析して行くといろんなことが分かりました。改善することはたくさんあります。

一つ一つゆっくりですがやり遂げようと思います。

私の欠点。無頓着なところ、突拍子なところ、片付けが苦手なところ。衛生管理。健康管理。

そして、沈殿物のようにある、脅える少年の姿。

課題は山ほどありますよ。ひゃー!

ひょー!

それでも、

かたつむりのように、雨を感謝に変えてはゆっくりゆっくり進んで行くように頑張ります。

「きっと晴れる日が来る。(^ ^)」    きっと。

私の嫁と息子をテーマにかたつむりを描きました。

いろんなことを思い返してね。忘れてはいませんよ。みんな。ひとりひとり。出会いと別れ。

言いたい事は...ごめんなさい...。その時は気付かず、後でわかる至らないところ。

ゆっくりゆっくりでごめんなさい。

もうすぐ梅雨が来ますね。



                    ファインリーブス      宮園直樹






今は順調に回復しています。

手術の流れはドラマを見ている様でしたね。

術後は少し痛みましたが、今はほとんどなくなりました。お腹が締め付けられている感じです。

明日退院の予定ですから、今さっきまで散歩して来ました。

桜はまだまだでしたね。病院の前の三本の桜の木が一番元気に見えました。

これからは節制ですね。夜勤はもう今月あと数回で終わります。これからは、家事と介護と自分のダウン症の息子や家族を大切にぼちぼちポヨンと参ります。

美術教室を専念しますが、まずは片付けからですよ。

妻も自分の両親や弟を介護介助しながらパートしているので大変です。さらに家事はサポートしないとね。私が一番苦手なのが掃除。料理や食器洗い、買い出しはお手の物。

みなさんからの応援メッセージやペタが嬉しく思います。

ここは思い出の場所でもありました。近くには新宿御苑があるし、ガードマン時代に勤務で何度も訪れたところ。

入院して二日目、散歩しながら色んなことを思い出してました。

離婚して自分が何たる奴かを学んだところ…そこが東京や千葉。足らない事はまだまだありますが、自覚を持って、自分が出来ることを頑張りたいですね。

今日はゆっくり過ごします。明日は彦根にリターンですね。やることてんこ盛り。笑
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“えっ⁉︎  嘘だろ⁉︎  待てよ!!

心の中で叫んだ。言葉にならなかったのには理由がある。

それはたとえ叫んだとしても、その言葉は届かないと判断が出来たからである。

ゆっくりと高速バスは発車していた。出発時間は4:00。確かにその時間前。なのに私だけを乗せずにバスは動き出したのである…。目の前で。

諦めはしなかった。追いかけた。声にはならなかったが、叫び声を張り上げるような気持ちを抱きながら走った。

“お!前のトラックがノロノロ運転だ!間に合う。絶対に。”  そう信じて300メートル以上は走った。

あと5メートルと近づいた。

ここは東名高速道路の上郷SA。後2時間もしないで彦根に到着するんだ。

“やばい!あのガソリンスタンドを曲がったらアウト。間に合わない。”

前のトラックがスピードをあげて曲がって行く。高速道路へ…。あの奈良交通の私のバスは…。

お馬鹿さん。ついていった。

“万事休す。こんなのあり?”

高速進入口の暗がりに消えていった。追いかけた。それでも追いかけた!諦めはしなかった。

その時、ガソリンスタンドの店員が呼び止めた。


「ちょっと、ちょっと、ダメだって!そこは入っちゃダメだって!」

「私の乗ってたバスが…。」

「何言ってんの?もう間に合わないって。ダメダメ。入っちゃいかんのだから。」

消えていったバス。私は諦めざるをえなかった。それでも携帯を取り出し、バス会社に電話しようとメールを見たりサイトに繋いだりして、奈良交通にかけてみた。

時間外。電話呼び出し音しかならない。だれも出ない。

6時には嫁が彦根駅に待っている事になっていた。何を言われるかわからない。やらかしてしまった。自分が悪いんだと思うしかなかった。

“荷物はどうなるんだろう。奈良まで取りに行くんか?帰りは電車か?いや、駅まではタクシーしかないんか。”寒い中どうのこうの考えても始まらない。

向きを変え休憩をとった施設に向かった。

その時、後ろから声がした。



「あの!宮園さんですか?」

「えっ⁇。」何がなんだかわからなかった。

「すみません。人数を数え間違いしてました。申し訳ありません。」

なんと高速バスは高速道路の入り口に停めてあると言うではないか。

危機一髪。助かった。

よぎる安堵感。不思議と怒る気にならなかった。停めてあるバスに乗り込んだ。

よく考えたら、出発時間前。それも、私の座席は一番前。前の清水SAでは10分遅れて発車してたではないか?突っ込みどころはたくさんある。しかしクレームはやめた。普通ならどやしつけるところ…。

満員のバスはほとんどが寝てるし、クレームを言ったところで何もならない。とにかく家に帰れたらいいんだから。

眠れないまま、高速バスは彦根駅に着いた。予定より早く。嫁にも話したし、子供たちにも話した。彦根駅に着いたから笑い話になりました。

よく考えてみたら、きっとあのバスに乗っていた乗客の誰かが叫んでくれたんだろう。隣の人は可能性は低い。歯ぎしりしながら寝てたから。

だれだろう?親切な誰からか守られたのである。人はやはり、独りでは生き難い動物なのだとつくづく思った。


今週木曜日から来週の月曜日までお休みになります。胆嚢摘出の手術入院します。腹腔鏡手術になります。